第2の転機は、その十何年後に訪れる『レ・ミゼラブル』と『蜘蛛女のキス』への出演だとか。
――しばらくは細川俊之さんや奥田瑛二さんとセゾン劇場やPARCO劇場で芝居をしていましたけど、その時に細川さんが「今度ミュージカル『レ・ミゼ』のオーディションがあるから、僕と一緒に受けないか」って誘ってくれたんです。
そのうえ、「二期会のバリトン、平野忠彦さんに師事するといいよ」って先生も教えてくれたんですよ。それからは1日に2回も稽古に行ったほどで、オーディションまでに100回くらい通いましたかね。
おかげで合格したんですけど、ちょっと東宝との間に契約があって、87年の初演には出られなかった。鹿賀丈史さんと滝田栄さんがジャン・バルジャンとジャベールを交替で演じましたが、その2年後の再演では二人がもうジャベールはやらないということになったんです。
そうしたら演出のジョン・ケアードさんが、「國夫がやるんだったらオーディションはなしで」と僕に決めてくださった。それから2000年までの間に、800回くらい演じましたかね、『レ・ミゼ』は。

