演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第45回は俳優の村井國夫さん。『蜘蛛女のキス』でゲイのモリーナ役を演じたことで、何も怖くなくなったという村井さん。その後、小劇場との出会いが転機となったそうで――。(撮影:岡本隆史)
稽古場から失踪したことも……
堂々たるジャベールを観た1年後に、今度は心優しいゲイのモリーナを演じる村井さんに、私は目を瞠ったおぼえがある。
このとき革命家のヴァレンティン役で共演した岡本健一さんに聞いた話では、「村井さん、男を愛するなんてことからおよそ縁遠い人だからね。途中で一度、姿を隠したことがあるんだ」とのこと。
――そうなんです(笑)。この役は何人もの俳優にオファーを断られたうえで、僕に声がかかりまして。演出家のロバート・アラン・アッカーマンさんが来日して本読みになったんですけど、スカーフをふわっとこう肩に掛けて最初の台詞「その女はね」と優しく言うのが、僕はどうしてもできない。
翌日ベニサン・ピットの稽古場に行って階段を見上げたら、もうそこを上がれなかった。で、そのまま失踪して映画観てました。またその映画が『心の旅路』って、記憶喪失者の話でね(笑)。ますます頑張る気が失せて。
それでまぁいろんな説得があって、かみさん(音無美紀子さん)も「絶対に降ろさないでください。きっとやらせますから」みたいなことで。
翌日稽古場に行ったら岡本君が、「村井さん、これ芝居なんだからね、何でもないよ」「いや、俺はできないよ」「大丈夫、大丈夫」って。向こうは22歳の子ですよ、僕は47歳(笑)。本当に助かりました。