小さい小屋だと大きな声もいらないし、大きな身振りも必要なくて、芝居が観客によく届く。

たとえば劇団桟敷童子、東憲司作・演出の『獣唄』の最後の場面。僕はステージの真ん中にいて、舞台両袖に役者が5人ぐらい。彼らが僕の乗った薄い板を持ち上げて動かすと。それがまたすごく劇的効果を生むんです。

そのうち「劇団チョコレートケーキ」からも話が来て。小劇場は面白い。アイディアが勝負ですからね、いろんなことをやってお客さまを喜ばせたいという気持ちが強い。最初は、こんなの恥ずかしいよ、って思うんだけど、やっぱり僕は女剣劇で育ったから、こういうケレンが好きなんですね。

 

何か、とても生き生きなさってますね。

――役者ってずっと続けていると、どこかで花開くんですね。それが10代だったり20代だったり、それこそ90代の人もいるかもしれない。開かない人もいるかもしれないけど。

 

村井さんはそれぞれの時代に、いくつも花を開かせましたね。

――いや、開いてない。これからですよ。(笑)

 

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