今でも引き継がれる「人間臭い心理操作」
「人間の持つ弱点や欲望を巧みに利用する」というソ連期KGB流のアプローチは今なお健在である。
近年発覚した3つの事例を見れば、その手口が繰り返されていることは明白である。
伊海軍将校ウォルター・ビオットは、家族を抱え生活苦に陥ったすきに付け込まれ、わずかな報酬でNATOの機密情報を露連邦軍参謀本部情報総局(GRU)に渡し、2021年に逮捕された。
ビオットは、月給約3000ユーロの給与の大半が自宅ローン(月1200ユーロ)や生活費に消え、家計は行き詰まっていた。ビオットの妻は「夫は愚かでも無責任でもなく、将来への絶望からやむなくやった」と述べ、ビオット自身も「家族のためにやった。抱えていた借金を返せなかった」と供述したと伝えられている(6)。
スウェーデンのペイマン・キアとパヤム・キア兄弟は、金銭的動機に基づき、保安警察や軍事情報部に勤務した経歴を利用し、10年にわたりGRUへ機密を流していたとして2021年に逮捕され、有罪となった。判決では、ペイマン・キアは、2016年から2017年にかけて約55万スウェーデンクローナ(約5万ドル相当)もの報酬を受け取っていたと指摘されている。
また、イギリス大使館の警備員デイヴィッド・スミスは、反英感情とプーチンへの共感をロシア側に利用され、在独大使館の情報を漏洩した罪で懲役刑を科されている。いずれの事件も、ターゲットの経済的困窮、イデオロギー、あるいは不満やエゴを巧みに突き、秘密を握って引き入れる古典的な戦術が鮮明である。
また、今般のロシア・ウクライナ戦争の中でも、ロシアがイデオロギーをネタにターゲットにアプローチしていた事実が判明している。
2023年5月にウクライナ保安庁(SBU)に逮捕されたオレ・コレスニコフは、旧ソ連時代のウクライナで育ち、国有地管理の仕事をしていた。彼はウクライナの軍事施設の情報などをロシア側に提供していた。
SBUの職員は、ロイターの取材に対して、「ロシアは、親ロシアを標榜している人物、家族が旧ソ連やロシア情報機関と接点を持つ人物、ロシア捕虜になったウクライナ兵の親族、ロシア占領地で暮らす人々の家族などを諜報の対象としている」という(ロイター『焦点:ロシアのスパイになったあるウクライナ男性、その動機と心情』2025年)。
コレスニコフは、親ロシア派であった。コレスニコフは、プーチンが掲げるロシア世界を支持し、金目当てでロシアに協力していたわけではないと言い切っているという。また、先のSBU職員は、「ロシアによるウクライナ侵攻前は、ウクライナ人がロシア旅行中に勧誘されるケースが中心だった。今はSNS経由の接触が主で、実際のスパイ活動に従事した理由はイデオロギーや金銭、脅迫などとそれぞれ異なった動機による」と話す。
(6)Reuters『Suspected Italian spy gave Russia highly confidential material: source』(2021)、ほか各種報道