ナポレオン3世の帝政時代の頽廃が生み出したオペラ
ナポレオン3世による帝政は、およそ20年に及ぶ。いまなおフランス国内では、ナポレオン3世の評判は悪い。ナポレオン3世がプロイセンとの戦争に敗れたばかりか、捕虜になってしまったからだ。ナポレオン3世は、フランスの栄光に泥を塗ったかのように酷評される。だが、フランス人以外の公平な視点から見るなら、ナポレオン3世はフランスに繁栄をもたらし、いまの花の都パリの基礎を築いた政治家でもある。
ナポレオン3世の登場まで、パリは繁栄こそすれ、汚い街であった。イギリスに亡命しロンドンの清潔さを知っていたナポレオン3世には、このパリの汚辱が耐えがたく、パリの大改造を命じている。この都市計画により、いまのパリの原型ができあがっていく。
ナポレオン3世は、1855年にはパリで万国博覧会を開き、パリの令名も高めている。当時、まだ万博はロンドンでしか開催されたことがない。ナポレオン3世はフランスの産業を振興、世界に売り出そうとした。万博に合わせて、ボルドーワインの格付けもなされているから、ナポレオン3世時代にフランスは魅力溢れる国になっていたのだ。
このナポレオン3世の時代、都市計画により大型化し、豊かになったパリには、国内から人口が流入もした。パリでは人は娯楽を求め、歓楽に浸ろうとした。ナポレオン3世自身が率先して享楽的な君主たらんとし、パリは浮かれていた。オッフェンバックはそんな時代のパリにあり、彼の作品もまた刹那的な快感を追い求めていたのだ。
※本稿は、『教養が深まるオペラの世界』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
『教養が深まるオペラの世界』(著:内藤博文/青春出版社)
ヨーロッパ最高の娯楽であり教養であるオペラとはどういうものか?
日本人に人気の『フィガロの結婚』をはじめ、オペラの主要作品を、その背景にある世界史の流れも踏まえて、わかりやすく解説。
オペラ初心者でも、オペラ愛好者であっても、その面白さ、奥深さを堪能できる一冊。




