東京オリンピックの翌年、22年にオランダで開催された世界選手権。1次リーグの中国戦で、私はまた右足首を捻挫した。オリンピックの時と同じようなシチュエーションで、着地の時に相手選手と交錯したことが原因だった。
チームドクターや現地のドクター、さまざまな方々の尽力で診断、治療を受けることができた。結果を聞いた眞鍋政義監督から「できるか?」と聞かれた時、私はこう答えた。
「できるように準備はします。でも、本当に出られるかはわかりません」
これには、明確な理由があった。
世界選手権がもちろん大切な大会であることは十分わかっていたけれど、オリンピックと比べれば、私にとってそこまで比重の高い大会ではなかったからだ。
もしもこれが、パリオリンピック出場をかけた戦いであれば、東京オリンピックのように無理をして強行突破で最低限の治療を施し、コートに戻ったかもしれない。
でも、それは今ではなく、来年の話だ。
今無理をすればその大事な勝負の時にもっと大きなケガをして出られなくなるリスクもある。だから私は言った。
「ここから先、チームがどうにも苦しくなって『紗理那、頼む』と言われたら出られるように準備はします。でもそうじゃないのに、このままの状態で試合に出続けたら、その先、足首がどうなるかはわからない。たぶんダメになると思います」