連戦連勝で勝ち進んでいくオグリキャップ

さて、中京盃を勝ったオグリキャップは、このあとも連戦連勝で勝ち進んでいく。安藤が言うように「ダートは下手」でも力が違いすぎた。

11月4日、中日スポーツ杯(名古屋)。2着に2馬身半差をつける楽勝。マーチトウショウも出ていたが4着だった。

12月7日、師走特別(笠松)。ここから1600メートルに距離が延び、B2クラスの古馬が相手というレースだったが、7歳のヤングオージャという馬に6馬身差の圧勝だった。

12月29日、ジュニアグランプリ(笠松)。4馬身差の楽勝。2着はのちに中央入りして3勝するトウカイシャーク。マーチトウショウは4着。

1988年1月10日、あけ3歳馬による重賞、ゴールドジュニア(笠松)。泥水が跳ねあがる不良馬場のなか、オグリキャップは直線で楽に抜けだしてきた。2馬身半差の2着はマーチトウショウだった。

こうしてオグリキャップのレースを書き並べていると、マーチトウショウという馬はほんとうに運がなかったな、と思う。ゴールドジュニアまで11戦2勝、2着6回。オグリキャップとは2勝6敗、2着は4回を数える。

オグリキャップという怪物がいたために、ずっと重賞を取り逃していたマーチトウショウは、東海ダービーも牝馬のフジノノーザン(秋に中央に移籍してエリザベス女王杯13着)の4着に負けたが、笠松の岐阜王冠賞で初重賞勝ちをはたしている。その後、4歳になって中央入りしたが2桁着順の惨敗がつづき、秋になって高知競馬に移籍、7歳の夏まで現役をつづけていた。

※本稿は、『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』(講談社)の一部を再編集したものです。

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