涙を流したのはあのときがはじめて

直線。内からホワイトストーンが、外からメジロライアンが追ってくる。

「オグリキャップ先頭! オグリキャップ先頭!」

実況席で大川和彦が叫んでいたそのとき、マイクが大川慶次郎の声を拾う。

「ライアン! ライアン!」

後年、大川慶次郎に「ライアン!」の真相をきくと、オグリキャップとしか言わない大川和彦に外からメジロライアンが迫ってきていることを教えたかったんだ、と言っていたが、真意はわからない。

オグリキャップはそのまま先頭でゴールを駆け抜ける。メジロライアンが2着、ホワイトストーンは3着だった。

瀬戸口勉はゴールした瞬間から完全に舞いあがっていた。たくさんの人に祝福されたのは覚えている。検量室の前には笠松時代の馬主、小栗孝一がやってきた。近藤俊典もいた。その歓喜の輪のなかでどんな会話を交わしたのか記憶がない。ただ、泣いていた。瀬戸口は言う。

「涙を流したのはあのときがはじめてかなあ。そのあとダービーも2回勝ったけど、泣かなかった。やっぱり、オグリの最後のレースということで、感激したんだろう」

新冠町から応援にきた高瀬良樹は、驚き感動して声をだす余裕すらなかった。「ざまみろー!」と叫んだ荒木正博の声だけがどういうわけか耳に残っている。しかしそのあとのことは思いだせない。気がついたときにはみんなで口取り写真におさまっていた。

稲葉牧場ではゴールと同時に電話が鳴った。ゴールインする前にかけたとしか思えない早さで電話をしてきたのは世話になっている獣医師だった。それが号砲となって稲葉家は怒濤の祝勝会に突入していく。電話がひっきりなしに鳴り、祝いの一升瓶をもった人が次々にやってきた。馬主の近藤俊典からも電話があった。

「稲葉くん、やっぱり来なくてよかったよ」

近藤は笑った。生産者がいない表彰式で、裕治の代わりに表彰台にあがったのは小栗孝一だった。

※本稿は、『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』(講談社)の一部を再編集したものです。

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