「まだまだ社会が混乱していた時期でしたけど、自分の好きなことや才能を生かせる仕事をしたかったので、僕に合った職場だったと思います」

光と影さえあれば影絵ができる

戦争が終わって大学に復学しましたが、戦後はものがなくてね。絵具もなかなか手に入らないし、人形を作ろうにも材料がない。

でも、影絵だったら光と影さえあればできるんじゃないか。影絵は光の当て方で、大きくなったり小さくなったり、思いがけない表現ができるので、「あっ、これだ!」と閃いたんです。

影絵を作るには、黒い紙を切らなくてはならないけれど、今みたいなカッターナイフはなかったし、いわゆるナイフでは切れない。そこで使ったのが、フェザーの片刃のカミソリです。

その後、アメリカからカッターナイフを取り寄せたりもしたけれど、しなったり、細かったりで、うまく切れない。結局、片刃のカミソリが一番自分に合っていたので、今でもそれを使っています。

大学卒業後は東京興行(現・東京テアトル)に入社して、宣伝部に配属されました。毎日のようにアメリカ映画の試写を見ることができ、スターの似顔絵も描ける。映画のパンフレット作りは、学生時代も同人誌みたいなものに表紙の絵やカットを描いたりしていたので、得意分野でした。

まだまだ社会が混乱していた時期でしたけど、自分の好きなことや才能を生かせる仕事をしたかったので、僕に合った職場だったと思います。

そのうち、花森安治さんと出会い、花森さんが編集長をしていた『暮しの手帖』に影絵を連載するように。『中央公論』でも邱永漢(きゅうえいかん)さんの連載小説『西遊記』に合わせて、影絵で挿絵を描きました。

小皿の中には、フェザーの片刃のカミソリ。この1枚で作品が生み出される