健康づくりは心のケア
そこで気づいた。私が求めているのは、自分で自分の身体を作っているという手応えなのだと。その手応えを、自炊の手間によって得ていたのだと、その手間を省いて初めて気がついたのだ。
健康になるためには健康的な食事を摂る必要があるが、自分で作る必要はないと思っていた。もしも誰かが作ってくれるならそのほうが楽だけど、それができないから私は仕方なく自分で作るのだと思っていた。
ところが実は、自分で料理を作ることで、自分の身体を作っているというかけがえのない手応えを得ていたのだ。
そしてそれはジョギング同様に、自分の身体を自分でコントロールしている実感であると言い換えることもできるだろう。私にとって、健康な身体を手に入れようとすることは、自分の身体を自分の手に取り戻そうとすることでもあったのだ。
つまり、健康な身体を作る過程で、副次的に心のケアがなされていたとも言える。そうした副産物が、自分で思っている以上に生まれているのかもしれない。だとすると、身体の健康という狙い通りの結果は得られずとも、健康になるための努力は決して無駄ではないと思えてくる。
※本稿は、『虚弱に生きる』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
『虚弱に生きる』
(著:絶対に終電を逃さない女/扶桑社)
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