「見る男性/見られる女性」という図式

メドゥーサを見ることができない存在、すなわち、「見られる」客体にはなりえない存在にしているのは彼女の「邪眼」である、とするクリステヴァの指摘は、彼女と同じく「見る」力を発揮するJホラーのヒロイン・貞子を分析するうえで、極めて重要だ。なぜなら、映画における「見る/見られる」という視線の動力学は、フェミニスト映画理論の嚆矢であるローラ・マルヴィの論文「視覚的快楽と物語映画」の中心となったトピックだからだ。

マルヴィは同論文の中で、古典的ハリウッド映画に典型的に見られる「見る男性/見られる女性」という図式を痛烈に批判しており、訳者であり解題を担当した映画研究者の斉藤綾子は、この論文が男性観客に「見る」快楽をもたらす「家父長制に直結したイデオロギー装置(※7)」としての主流映画の顔を暴き出して見せたことを指摘している。

その一方で、マルヴィは、映画産業を取り巻く技術的、経済的状況の変化によって、「既在のものではない別の映画(オルタナティブ・シネマ)」(※8)が展開される可能性を予見し、のちにはデジタルテクノロジーの登場が映画の観方を変え、「見る男性/見られる女性」の対立関係を補強したり破壊したりするとも述べた(※9)。

マルヴィのデジタルテクノロジーへの言及は、巻き戻しや繰り返しの再生を可能とする「ビデオとデジタル・メディアが、古い映画作品を見る新たな方法を開拓した(※10)」という文脈のなかでなされているものだが、観客自身がビデオを巻き戻すことで「幽霊に見られ続けていた自分」に気づかされる『邪願霊』〔1988年〕の恐怖の仕掛けもまた、ビデオという新しい映像メディアの登場によって可能になった新しい映画の観方、映画と観客との関係性の一つであると言える。

そして、貞子が呪いを込める対象がレンタルビデオでなければならないのは、それが女性を見世物として男性観客に供したメディアだからだ。男性たちが「女性を見る」メディアとして盛んに活用してきたレンタルビデオが、「女性に見られ、睨み殺される」メディアへと反転する恐怖。「呪いのビデオ」は、レンタルビデオという映像流通の場において見世物にされてきた女性たちの反撃の狼煙だったのである。

(写真提供:Photo AC)

※7…斉藤綾子(1998)「解題」(岩本憲児・武田潔・斉藤綾子編『「新」映画理論集成1 歴史/人種/ジェンダー』フィルムアート社、140頁)
※8…ローラ・マルヴィ「視覚的快楽と物語映画」前掲書、128頁
※9…ローラ・マルヴィ「ニュー・テクノロジーから観る」(水野祥子訳。竹村和子『彼女は何を視ているのか 映像表象と欲望の深層』[作品社、2012年]所収)
※10…前掲書、233頁

※本稿は、『Jホラーの核心: 女性、フェイク、呪いのビデオ』(早川書房)の一部を再編集したものです。

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