引っ越し初日
荷物を運び込んで二階の寝室を決めようと階段を上がったとき、佐藤さんは目を疑った。
日当たりの悪い一室に大きな金庫が置かれていたのだ。
据え置き型の古いタイプで、錆は浮いているものの、まだ使用に耐える状態だった。
しかし、内見の際には確実に存在していなかった。
一体誰が、どうやって、こんな重い金庫を二階まで運び上げたのか。
気になった彼は、近所の住民何人かに尋ねてみた。だが、ここ数日で変わった人の出入りを目撃した者はいなかった。誰にも気づかれずに金庫を設置するには、相当な計画性が必要だったはずだ。彼は当時、その点に強い疑問を抱いたという。
鍵が商いの要である彼にとって、金庫は職人としての好奇心をそそる存在だった。
古い金庫の開錠経験は少なく、自分の技術を試すまたとない機会でもある。誰が、なぜ置いたのかも分からない以上、なおさら開けてみたくなった。
古い金庫特有の重厚なダイヤル式で、錆びた数字盤を慎重に回しながら、音を頼りに組み合わせを探った。
昼から始めたそれが終わったのは、夕暮れに差し掛かる時間で、自分の未熟さを痛感した。
中から現れたのは、一冊の分厚い帳面と複数の人型に切られた紙片だった。
紙は和紙のような質感で、それぞれが微妙に異なる形状をしていた。片腕がなかったり、穴が開いていたり、焦げた跡があったりする。仔細に眺めると、全ての紙片に筆文字で丁寧に名前が記されていた。
帳面の表紙には「引渡帳」とあり、その下に小さく古い文字で記されていた。
「当人ノ開錠ニヨリ取引完了トナル」
中身を確認すると佐藤さんは戦慄した。
「田中辰雄 三百万円 片腕」
「高橋久子 六百万円 顔面」
名前、金額、身体の部位がセットで記録され、紙片の状態と完全に対応していた。
古い記録には「文」「銭」「両」といった古い通貨単位が使われており、江戸時代から続いている取引であることが推測できた。
しかし、奇妙なことに、帳面の最後のページは墨の色が鮮やかで、まるで最近書かれたかのように見受けられた。
古い帳面ではあるが、なぜか最新の記録だけが生々しく残っている。
気になって調べてみると、昔の貨幣価値を現在に換算した場合、江戸時代の人々は数百万円、時には1000万円以上の価値で取引されている。
それが時代を下るにつれて価格は下落し続けている。
つまり、人間の価値がだんだんと低くなっていっていた。
そして、彼は、帳簿を捲る手が止まった。
父親と同じ名前が、フルネームで記載されていたのである。
「佐藤三郎 八百万円 息子の内臓」
