息子の内臓

最初は、同姓同名に違いないと、自分に言い聞かせた。佐藤は日本で最も多い苗字で、三郎という名前も決して珍しくない。しかし、息子の内臓、という記載が妙に引っかかった。

――これは自分のことだろうか?

いや、もう一つの考えとして、兄を指しているのではないか、とも考えた。

そこに至った瞬間、彼は、ハッと顔を上げた。

兄は数年前に病気で亡くなっているのだ。

もしこの、息子の内臓、が売買の対象で、記載された金額がその代価だとすれば――内臓を売られた人間は一体どうなってしまうのだろうか。最悪の場合、命を失うことだってあり得る。そして兄は既にこの世にいない。まさか、とは思うが、ここに書かれた息子とは、兄のことなのではないか。

だとすると合点がいく。父親が長年苦しんでいた借金を急に完済したことがあった。そしてその頃、兄も亡くなった。母親は、お父さんが急に大金を手に入れて、と説明していたが、まさか……。帳面の日付を確認すると、父親の借金完済時期と符合している。

振り返ってみると、自分が鍵師という職業を選んだのは、父親に誘導されていたのかもしれない。

子供の頃から家には古い鍵が転がっていて、父親は「手先が器用だから向いてるかもな」と言っていた。進路を決めるときも、父親だけは妙に嬉しそうだった。

今にして思えば、それがひどく不気味に思えてならない。

しかし今となっては、それら全てがこの金庫を開けさせるための長期計画だったのではないかと思えてくる。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

なぜ鍵師でなければならなかったのか。

それは、この取引を完了させるには、売られた当人が金庫を開けて内容を確認する必要があるからではないだろうか。

つまり、取引の最終承認は売られた本人が行わなければならないシステムなのだ。

だが、兄は鍵に関わる道に進まなかった。

では、兄はどうやって承認したのだろうか。

佐藤さんは記憶を辿った。兄が亡くなる少し前、父親が「実家の蔵で古い金庫を見つけた。先祖の遺品が入ってるかもしれないから、一緒に開けてみないか」と兄を誘ったことがあった。

兄は昔から歴史や古いものに興味があり、喜んで手伝っていた。もしかすると兄も、自分と同じように自ら金庫を開け、中身を確認したのかもしれない。

物件を紹介したのも父親の友人を名乗る不動産屋、内見に同行したのも同じ人物。全ては彼に金庫を開けさせ、取引を完了させるための布石だったのかもしれない。

そして帳面の最後に、彼は自分自身の記録を発見した。

「佐藤三郎 ■■円 息子の両手」