また別の手紙では、
「私がピアノを弾いています。貴女がステージであの美しい瞳を輝かして「山桜」を歌つています。夢、現実かと思ひました。私は夢で完全に貴女と手を握ることができました」
とも書いている。ここに出てくる三木露風の詩に曲をつけた「山桜」は、古関が金子に贈った歌である。「君はるか」の楽譜は現存しないため、どのような曲かわからないが、「山桜」は古関の生誕100年記念のときに出た『古関裕而全集』のCDで聴くことができる。伴奏も含めて技巧的ではないが、高音部が映える情感豊かな曲である。
古関20歳、金子18歳で結婚
5月下旬に古関は、手紙で知らせたとおり、26曲の楽譜を持って名古屋に向かっている。毎日写真で見ている金子に会えると思うと、古関の感情は高ぶった。興奮していたのだろう。夜汽車で眠れぬ古関は、「ここは大井川」、「ここは天竜川」とつぶやきながら、名古屋を目指した。
名古屋で金子と初めて会うと、納屋橋(なやばし)から電車で犬山を通って岐阜県の今渡まで行き、そこから木曽川下りをしている。これが二人にとっての新婚旅行であり、「五月の新緑がきらきら光る美しい旅でした」という。
古関がイギリス留学するかどうかで苦しんでいる(※)ことを知り、金子は放っておけなくなったのだろう。古関と金子は昭和5年6月1日に結婚した。古関20歳、金子18歳という若さであった。
後年に金子は、
「私たちが結婚するまでの期間は三ヵ月くらいでしたかね。それもほとんど文通でした。私って冒険心があるのね。何て言うか人生に夢を持っているんですね。だから平凡なことよりも、力を生かしていくような職業が好きだったんです。それで突進したわけ」
と語っている。
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※編集部注:結局、もろもろの事情が発生し、古関のイギリス留学は実現しなかった
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