「僕がもし病気をしていなかったら……何十年も大事なことを見失ったまま、一生が終わってしまったかもしれない」

“永遠のヤングマン”でいることは、ありえない

そうしたら、病気で悩んでいる自分が小さく見えてきてね。オレ、歩いてるじゃん、何とかしゃべってるじゃん、とにかく今、命があるんだ、ここからまた頑張ればOKだよ、と思えるようになった。倒れる前の自分と比較するから不幸だと思ってしまうわけで。前のヒデキはもういない、そこを切り捨ててもう1回、スタートしよう。努力してみよう。きっと毎日が充実できるはずだよ、と。

今の若者たちも、これから先の人生で気づくときが必ずくると思うんです。「生きてる間はいろいろなことに遭遇するんだから、何事も途中で投げ出したら損じゃないかな」ということ。病に倒れた今だから言えるし、伝えていきたいと思う。

いや、もちろん僕も、若いということはすばらしいと思っていますよ。若さゆえの失敗を否定しているわけでもありません。考えもなく行動してしまうのは、若い世代に許された特権だと思う。僕もそうだったからね。そこから学び、軌道修正していくことこそが、大切なんだと思います。

裏返して言えば、そんな経験を蓄積して正しい判断ができるようになってこそ、大人の世代と言えるんじゃないかな。経験を積んだ世代の人間は、その世代なりの魅力を持っているはずでしょう。若いころの魅力にばかりとらわれず、年齢を重ねたら、その年齢なりの魅力で輝いていたいものです。

いつまでも“永遠のヤングマン”でいることは、ありえない。50歳なのに30代に見えたら、それはそれですごいことだけれど、僕は、50歳という年齢を素直に受け入れて50歳の輝きを放っている人のほうが素敵だと思うし、自分でも、そうありたい。

僕がもし病気をしていなかったら……何十年も大事なことを見失ったまま、一生が終わってしまったかもしれない。昔は不摂生していたもんなあ。そう考えると、50歳の直前にたまたま大病をして助かり、気持ちを新たにリセットして次の人生を迎えられた僕は、ラッキーだったということになります。

今は、あのとき倒れてよかった、とさえ思う。病気をしたことの代償も大きかったけれど、それ以上に大きなものが、僕の体験として残ったから。この経験を、人生の後半戦に生かさなければね。