「図々しさ」「図太い」は似て非なるもの

レジに割り込むおばさんも、男性カメラマンも、根っこは同じじゃないだろうか。彼らが持つ「図々しさ」とは、自分のしたいことを叶えるために、他人の時間や感情、手間などを気にせず行動できる能力なのだ。

1つの行動をするのに「これをしたらどう思われるか」「迷惑じゃないか」とたくさん考え、膨大な脳内コストを払っている私に対し、コストゼロですぐに行動できている。精神的な燃費が良すぎる。

罪悪感を感じないという能力こそが、現代社会をサバイブする最強の武器なんじゃないだろうか。彼らはその分、人生のエネルギーを温存できている。

「図々しい」と「図太い」は似ているようで違うように思う。人の迷惑を考えず、自分が得をするために動く「図々しい人」。それとは別に、神経が図太く、何を言われても動じない、嫌われても平気、というメンタルの強さのある「図太い人」がいる。カメラマンの彼は「図太い人」に当たるんじゃないだろうか。

私は彼らの行動そのものは苦手だ。けれど、批判を恐れずにそれをやってのける図太い神経には憧れてしまう。

だが、それをも超越する存在がいる。天然で図々しい人だ。 彼らには、そもそも「図々しいことをしている」という自覚がない。自覚がないから、罪悪感もない。

無意識なのに「図々しい」と周りに思われていることはちょっと気の毒かな……と一瞬同情したくもなるが、当の本人たちはそう思われていることにも気づかないわけだから、いつだって笑顔でいられるわけだ。