さみしさは、誰にでもある感情

ドーパミンによる快楽そのものが悪いわけではありません。

さみし過ぎると冷静にものごとを考えられなくなるというのは、体のどこかに激痛を感じているときと似ていて、心が痛い状態、といえるかもしれません。

その痛みを一時的に忘れるために、快楽を利用することを覚えてしまうと、それが常態化してしまい、本来はさみしさそのものを受け止めて処理することができたはずなのに、その心の靭性(じんせい・しなやかさ)を手離すことにつながってしまうのです。

さみしさは、誰にでもある感情です。

同時に、これは苦しいものだから、誰もがそのさみしさを忘れたいという気持ちを持っています。

けれどもそれを一時的に忘れようとして、目先の快楽に溺れる生活を選ぶのか、さみしさと向き合って、それさえも人生の豊かさの一側面であると考え自身の糧としていくのか、最初はほんの少しの違いなのですが、長い年月を経るあいだには大きな格差となって表れていきます。