悪しき個人主義に注意

モラルは、あくまで社会全体で共有する基準であり、「自分ルール」を押し付けることではありません。

ここで大切になるのが「社会性」です。

社会性は、家族→幼稚園・保育園→義務教育……と、集団生活の中で少しずつ育まれていくものです。

そこで学ぶべきは「自分と違う基準が存在する」という事実です。

ですが、物事の善悪を完全に個人基準で決めてしまうと、それは「モラル」ではなく、「ただのわがまま」になってしまいます。

最近では、自分ルールが過剰に強く、社会を自分に合わせさせようとする「悪しき個人主義」も増えています。

たとえば、

・朝が弱いし、電車に乗りたくないから在宅勤務がいい
・体育大会はダサいし、めんどうだから参加しない
・自分のやり方が正しいから、職場のルールには従わない

「自分基準」を主張しすぎるとどうなるか……。

『ふるまいひとつで仕事も人生もうまくいく 気づかいの神さま』(著:香山万由理/PHP研究所)

多くの場合、仕事の場では、マイルールが強すぎる人には大切な業務を任せにくいと思われる可能性が高くなります。

「新卒だけど在宅勤務がいい」という選択肢そのものは悪くなくても、上司は先行きが心配になるかもしれません。なぜなら他の仕事にもマイルールを適用してくる人かもしれない、チームの方針に沿わないやり方を勝手に求めてくるかもしれない……という不安が生まれ、「自分の手に余る」と感じさせてしまう可能性があります。自分の想像の範疇を超えるものへのリスクヘッジは容易なものではありません。結果として、マイルールが強すぎる人には仕事を任せたくない、となりかねません。

あえてわかりやすい例として、業務上、身だしなみ基準を厳しくする必要がある職場を挙げてみましょう。医療機関や飲食店は、衛生面、安全面が最も重要なため、髪はまとめる、アクセサリーは付けない、ネイルはしない、などの身だしなみの基準があります。

これは、仕事として守るべき基準であり、個人の好みを反映させるものではありません。

この身だしなみ基準に反している場合は、指導されるのは当然なのです。しかし、注意をされると、私はネイルをしたいのに注意してくるなんてパワハラだと騒ぐ人がいます。これは自分にだけベクトルが向いていて、個人の好みを相手に押し付けていることと同じです。

仕事にはそれ相応の基準があり、そこに各自の好みを入れていたら、仕事として成立しないからです。