祖父の七代目貞山は、道具仕掛けの怪談を得意とし、「オバケの貞山」と異名がつくほど。父は八代目として、流麗な読み口、格調高い言葉の響きで観客を魅了する王道の芸を磨き上げました。父から課せられたこの厳しい修業に、江戸時代から受け継いできた講談師の信念があったのだと思います。

修羅場の勉強と並行して、前座修業中の4年間は、しきたりや礼儀作法を叩き込まれました。「修業中は、まず目の前の師匠を喜ばせろ。師匠一人を喜ばせられない人間に、百人、千人のお客様を喜ばせることなんてできやしない」と教わったものの、満足に気遣いができない日々。

「向いてないから、辞めちゃいなさい」と、先輩のお姉さんに叱られたこともあります。失敗するたびに祖父や父の顔に泥を塗っていると思うと落ち込むばかり……。でも今は、私をきっちり指導してくださった先輩方に心から感謝しています。

前座から二ツ目に昇進すると、高座の読み物を師匠のご指示ではなく自分で選ぶので、世界が広がりました。そのとき出合ったのが、女性の講談師の草分け的存在である神田翠月先生が読んでいた『浪花のお辰』です。

堅気の女房として暮らす女が、かつて悪事を重ねていた頃の仲間に再会してしまい、今の幸せを守るため、もう一つ罪を犯す。そんな毒婦伝の講談を聴いたとき、心の底からスカッとして。「貞山先生の娘」だから、お利口さんで、きちんとした振る舞いをしなければ、とがんじがらめになっていた心が解き放たれたように感じました。

すぐに翠月先生にお願いにあがり、稽古をつけていただき、「おい、てめぇ、冗談言っちゃいけねぇよ!」と、誰に遠慮することなく堂々とタンカを切った瞬間、今までとは異なる新たな講談に魅了されたのです。

後編につづく

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