で、中学生のときに、安室奈美恵さん、MAXさん、SPEEDさんの歌がすごく流行って、自分も歌えれば友だちや居場所ができる、その輪の中に入れてもらえるかもしれないと思ったんです。

中村 それがきっかけで沖縄アクターズスクールに興味を持ったと。

本インタビューが掲載される『婦人公論』6月23日号(6月9日発売)

 はい。で、中学2年のとき家族に内緒で沖縄アクターズスクールのオーディションを受けたら、最終審査が日本武道館で、特別賞をいただいたんです。家族も全員びっくりしていましたが、親も応援してくれたので、中学卒業後にすぐ沖縄へ。スクールの子はみんな夢を目指しているから、いじめもなくて。1年間あっという間でした。

中村 それからなぜ東京へ?

 沖縄でレッスンを受けているうちに、どうせやるなら東京でナンバーワンになりたい、と思うようになったんです。それで東京のエイベックスのオーディションを受けて合格しました。姉はすでにエイベックスのオーディションに合格していて、レッスンを受けてました。実は姉にも内緒で、最終審査で「え? これ倖田の妹じゃない?」って気づかれて。姉から連絡がきて、「なんでエイベックスのオーディション受けたの? 相談してほしかった!」と言われましたね。(笑)

 

あの3年間には戻らない

中村 てっきりお姉さんのコネかと。そこも世間の誤解があります。

 姉の七光りとか言われますけど、姉の力は使ってないです。エイベックスでの担当部署も違うし、姉の力を使っていたらもっと音楽番組に出演できていたはず。逆に事務所からは「別々のアーティストとして売りたいから、姉妹の話をするな」と釘を刺されていたくらいです。

中村 同じ芸能界で、しかも同じ事務所。姉妹の関係はどうなんですか。

 実家で暮らしていたときはすれ違うたびにけんかしてましたが(笑)、芸能界入りしてからは、「妹もデビューするんでお願いします」「妹こんなに歌うまいんですよ」とか、すごい妹思いなところを見せられて。だから、よく姉妹で比べられたり、お姉ちゃんに負けるなとか言われますけど、姉とはライバルとかそういう次元じゃない。勝ちたいという感情にすらならないです。

中村 そしてエイベックスから02年にdatとしてデビュー。17歳でしたね。

 周囲は浜崎あゆみさんや安室さんみたくなるよう期待してくれていましたが、3年間ずっと売れなかったです。ゲームのCMソングに起用された曲がシングルランキングで2位になりましたけど、数十万枚で……。今と違って当時のエイベックスは100万枚、200万枚売れるのが当たり前でしたから。

中村 今じゃ数十万枚なんて売れたら大ヒットですけど。

 一方、姉はブレイクするまで4年以上かかりましたが、エロカッコイイという言葉まで作り、大成功。一人で紅白にも出ているし、レコード大賞もとって、すごいです。自分はゲームやアニメのタイアップがたくさんついているのに、その割に売れなくて、自分を責めましたね……。

その頃めっちゃ激太りして、15キロ以上体重が増えました。ビジュアルもよくないし、カメラに映りたくなくて下向いて歌ったりして。あの3年間には、タイムマシンがあっても絶対に戻らないですね。