クラス全員からのいじめが始まって
中村 misonoさんはお姉さんが歌手の倖田來未さん、ご自身も17歳の時にday after tomorrow(以下dat)のボーカルとしてデビューし、人気を博しました。dat時代の曲を改めて聴きましたが、歌が素晴らしくて度肝を抜かれましたよ。
misono(以下、m) えー! うれしいです! ありがとうございます! まさか歌を褒められるとは思わなかったですし、褒められるとかえって緊張します。(笑)
中村 お茶の間的には、どちらかというと『ロンドンハーツ』でみせていたバラエティタレントとしてのイメージが強いですよね。最近では、引退した島田紳助さんがmisonoさんのYouTubeチャンネルにサプライズ出演して話題になりました。一方、何かにつけ「嫌い」とバッシングされ、そのたびにネットニュースで取り上げられています。
m そうなんです。数日前も、自分のYouTubeチャンネルで夫のNosuke(ロックバンドHighsidEのドラマー)に対して、ウチがやいのやいの言っていたら、それを見た世間から「こんなうるさい嫁がいたら、マジで離婚したくなる」「こんな女絶対にいやだ」「Nosukeがかわいそう」とか、めっちゃくちゃ叩かれましたね。そしたらその後すぐに「misono、コロナで離婚危機」ってニュースにもなって。
中村 ある意味、すごい影響力ですよね(笑)。今日は、バッシングにもめげずに発信を続けるmisonoさんのメンタリティがどう培われたのかをお聞きしていきたいと思っています。ご実家は京都で、お祖父様が尺八の先生、お祖母様が詩吟をやっていらしたとか。音楽一家なんですか?
m 実家は京都の伏見稲荷の近くで、母はお琴、私たち姉妹二人は日舞や茶道、剣舞を習ったりと、けっこう“和”な家庭でした。父はダンプカーの運転手で、母はずっと美容関係の仕事をやっています。うちは両親が本当に仲良くて、けんかしているところは見たことがない。裕福ではないけれど、ピアノも習字も英語もプールも、やりたいことは何でもやらせてもらいました。怒られたことがなく、むしろ褒められて育ちましたね。だからわがままになったのかもしれない。(笑)
中村 どんな子ども時代でした?
m うーん、いじめられてました。2歳上の姉とは性格が正反対。姉は明るくて活発で、同級生からも「歌の上手なくーちゃん」と大人気。小さい頃から歌手志望で、小学生からオーディションを受けていたんです。自分は「くーちゃんの妹」として先輩からかわいがられてました。姉は妹思いで、どこへ行くにも連れて行ってくれましたが、物心がつく頃自分が反発して、それ以来、仲が悪くなりました。それも自分が悪いんですけど、家でも口をきかなくなりましたね。
中村 学校でいじめられていたんですか?
m 姉妹二人で通っていた京都・太秦の撮影所で声をかけられ、小学3年の夏に小僧寿しチェーンのCMに出させてもらったんです。その時はクラスメイトからちやほやされたんですけど、そのあとが大変で。たぶん調子に乗っていたんでしょうね。クラス全員からのいじめが始まって。中学卒業までずっと続いたんです。
中村 どういういじめですか?
m まず、学校に行っても誰もしゃべってくれなくて完全に無視。修学旅行の写真が壁に貼られると、misonoが写っているところ全部に画鋲が刺さっていたりとか、机の上が足跡だらけになっていてめっちゃ汚くなっていたり、ほかの机から離されてポツンとなっていたり。
中村 かわいそうに……。それからはどうしていたんですか。
m つらかったんですけど、ひとりだけしゃべってくれる子がいて、だから学校には通っていました。それと家に居場所があったのが本当によかった。両親が絶対に悲しむとわかっていたから、いじめの話はしませんでした。帰宅すると、学校でさっきまでいじめられていたのが嘘のように、家族全員でテレビを見ながらご飯を食べて。どこかに自分の居場所があるって、すごい救いですよ。
中村 いじめられたときはどう感じていたんですか?
m 自分の性格が悪いからいじめられるんだと思っていたので、ダメな子なんだと自己嫌悪でいっぱい。勉強も全然ダメだし、得意なこともない。子どもが好きで、夢は保母さんになることだったんですけど、自分みたいな“人に好かれない人”には無理だと思ってあきらめたんです。結局ずっと学校で無視は続いて、どうやったらいじめられずに済むんだろう、友だちができるんだろうと考えていました。
中村 そうでしたか。