おバカタレントと呼ばれるように
中村 06年にソロデビューし、15年、30歳の時に、「1万枚売れなかったら今後CDを出さない」と背水の陣でアルバムを出されましたが、残念ながら目標を達成できなかった。
m スタッフから「なんでわざわざ自分を追い込むようなことをして、自分をダメにしているのか」と言われましたけど、CDを出しても出しても売れないというのは苦しかったですし、今に満足してぬるま湯につかっていたくなくて。完全燃焼したいというか、きっぱりあきらめる理由がほしかったのかもしれません。
中村 ずっとプレッシャーと戦っていたんですね。そのままフェイドアウトすることもできたのでは。
m ホントそうですね。でもなんか、待っててくれるファンをだましているみたいで、引っかかったんです。自分で言うのも何なんですけど、30歳まではファンのために生きていたと思えるくらい時間と労力を割いてきました。出待ちにも何時間も対応して、握手会では対応時間の最高記録を出したこともあります。結婚式は8回やってますが、8回目は自分を応援してくれるファンの方たちを招くためだったんです。
中村 知りませんでした。ちょっとやりすぎなくらいですね。
m よく言われます(笑)。やると決めたら徹底的にやりたいのが自分の性分。自分のためには頑張れたことがないのに、ファンの子たちが喜んでくれるなら、疲れていても無理できてしまう。
中村 一所懸命で、過剰なくらいのサービス精神がmisonoさんの根底にありますね。今のイメージを形作ったバラエティ番組への出演は、何がきっかけだったんですか。
m ソロになっても鳴かず飛ばずのときにダイエット企画の仕事が来まして。それをエイベックスの歌手がやるということで話題になったんです。当時はもう崖っぷち。結果を出せなかったらこのまま終わると思っていましたから、ゲストとして出た島田紳助さんの番組でめちゃくちゃに弾けました。
終わって挨拶にいったら、「いやお前、おもろい、歌手でこんなやついない」と、目の前で事務所の偉い人に電話してくれて、「misonoはバラエティで絶対に成功すると思うから出させてやって」と説得してくださった。それから『クイズ!ヘキサゴンII』と『世界バリバリ★バリュー』が決まり、おバカタレントと呼ばれるように。
中村 アイドル的な人気のあったmisonoさんが、なんでここまで体当たりするんだろうと、当時は不思議に思っていました。
m バラエティに出るからには、「私、アーティストなんで」とは絶対に言うまいと決めていたんです。だって、misonoが出ることで女芸人さんが一人、番組に出られなくなるわけですから。まずは身近な人にmisonoすげえなと思ってもらえなきゃ戦えないと思いました。
そもそもプライドなんてなかったから、「CDが売れないんすよ」「崖っぷちなんですよ」という感じで。datのときにちょっとでも売れていたらできなかったでしょうね。おかげでノーメイクで街を歩いてもmisonoだと気づかれるくらい、名前と顔を覚えてもらえました。ホントにバラエティ番組のおかげです。