バレーを始めたのは小学3年生の時。姉や兄がバレーをやっていたので、母と遠征について行き、楽しそうだなと思って始めました。

実家は愛知県ですが、バレーの強豪校に声をかけていただき、中学からは長野市で寮生活。よく親が許したね、と不思議がられるのですが、「自分でそうしたいなら頑張りなさい」と背中を押してくれました。

高校もバレーのために東京の下北沢成徳(せいとく)に進んだので、親と一緒に住んだのは小学校卒業まで。そういう環境で過ごしていると、一人で考えるのが当たり前になります。何か問題が起きた時に誰かに相談することもなく、自分で考えて答えを見つけ出す、という人生観が自然と身についてしまいました。

だからイタリアに単身で渡っても、不安はなかったんです。ただ、通訳を常時してくれる人や生活をサポートしてくれる人は一人もいなかったので、イタリア語がまったく理解できなかった当初はさすがにへこみました。

バレーの専門用語だけはプレーしながらすぐに覚えましたが、細かい部分――たとえば「トスをもっと高くして」といった、咄嗟に必要になるコミュニケーションに苦戦して。ストレスも溜まりました。自分でも、1年目によく潰れなかったなと思います。

あの時は、もっと成長したい、トップ選手になりたいという気持ちだけでコートに立っていた。でも、そこを持ちこたえたことで次第に自信がつき、2年目にノヴァーラに移籍することができたのかなと思います。