早朝、家に戻ったがすこしも眠気はなかった。神経が高ぶってじっとしていられない。
 思い立って霧の遺品を整理することにした。パソコンは後回しにして、紙袋の中の遺品を取り出した。
 藍染めの印半纏を手に持って広げてみた。背中の部分には大きな白鳥紋がある。私はしばらくの間じっと白で抜かれた紋を眺めていた。
 霧は痩せぎすだった。服を着ていると細長く見えたが、脱いで裸になると想像よりもずっと広くて大きかった。やはり男の身体なのだと思わされ、私はまるで中学生のようにどきどきした。
 そっと半纏に顔を近づけると霧の匂いがした。薬草と薄暗い蔵の匂いが混ざり合った、ほんのすこし黴臭いような古びた匂いだ。
 瞬間、胸の底が抜けて半纏を抱いたまま動くことができなくなった。懐かしいと感じるにはあまりにも時間が足りない。生々しすぎる記憶の海に溺れそうになる。このまま深くて暗い底まで沈んでしまいたい――。
 私は歯を食いしばって半纏をハンガーに掛けて鴨居に吊した。
 次は桐下駄の手入れだ。
 桐下駄はいつも素足で履いていたから指の痕が残っている。私は霧の親指の痕にそっと人差し指で触れてみた。わずかに湾曲している。これが霧の重みだ。私はひっそりした窪みを感じながら、しばらく動けないでいた。
 霧の重みを私はもう二度と感じることができない。もっと抱き合えばよかった。もっともっと触れ合って、朝も昼も夜も互いを感じて、ひとときも離れず、たとえ小指の先でだけでも繋がっていればよかった。
 段ボール箱の底から日傘を取り出す。アウトドアブランドの男ものの日傘だ。外側はシルバー、内側はブラック。霧は一度熱中症で倒れたそうで、それからは必ず日傘を使うようにしていた。埃を払って軽く水拭きをし、日陰で干して風を通した。
 印半纏。桐下駄。日傘。
 夏の強い陽射しの下、細長い影が歩いてくる。もう流行らない時代劇のよう。侍でも町人でもない。職人でも商人でもない。たぶん、霧はどんな時代にいてもそぐわず、呆然と彷徨う迷子のようだ。でも、決して人に道を訊いたりしない。寂しそうに微笑みながら一人で歩く。それが霧という男だった。