麻子の部屋の前にはお盆が出ていた。皿は綺麗になっている。一応、生きているようだ、と安堵し、お盆を下げた。
 暗い台所で、スポンジに洗剤を付けて皿を洗った。食洗機が欲しいと思う。だが、父が反対するのだ。一度、設置したことがあるが、父が怒り狂って内部の食器を取り出してみな叩き割った。
 ――手を抜くことばかり考えて恥ずかしくないのか。この怠け者が。
 どれだけ言い返しても無理だった。父は口汚く私と麻子を罵り続けた。私は結局、食洗機を諦めた。
 昔から考えが古く、男尊女卑の傾向があった。だが、酷くなったのは交通事故に遭ってからだ。逆走車と衝突して側壁に突っ込み、横転。助手席の母は亡くなり、父は助かったが障害が残る重傷を負った。身体の麻痺に加え、高次脳機能障害で感情のコントロールができなくなり、娘と孫に当たり散らすようになったのだ。
 施設入所を勧めたが、父は頑として首を縦に振らなかった。なんとか体験入所に連れて行ったがトラブルを起こしただけだ。訪問ヘルパーも暴言を吐く父を嫌がっていた。
 皿を洗いかごに並べ、電気ケトルのスイッチを入れた。夕食の支度をする前にコーヒーを一杯だけ飲んで休憩しよう。
 そう、よくある家庭だ。「介護」「引きこもり」など珍しくない。今の日本では当たり前の家庭だ。
「木綿子、木綿子、木綿子。早く来い。なにをしてるんだ。ぐずぐずするな」
 父が奥の部屋から呼んでいる。
 いつまでこんなことが続くのだろう。キッチンの縁を掴んでうつむいた。涙が出るかと思ったが出なかった。そのままじっとして、自分が惨めな理由を考える。
 惨めなのは夫に死なれたからではない。父の介護に追われているからではない。一人娘が引きこもっているからではない。若い頃の夢がひとつも叶わなかったからではない。そんな日常を当たり前のこととして、黙って受け入れてしまっていることだ。自分の心が乾ききって死んでいるように感じているのに、それに気付かないふりをしている。その意識的な鈍感さが現在進行中だということだ。