午後から、新規の広告出稿先を求めて富田林市を訪れた。普段なら営業車を使うのだが、ちょうど出払っていて、電車で行くことになった。
 富田林駅を降りて東に向かって歩いた。寺内町の町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、江戸時代からの豪商の家が軒を連ねている。最近では古民家、商家をリノベーションしたカフェや店が増え、観光客も訪れるようになった。
 電話でアポイントメントを取ったカフェ兼雑貨屋を訪問した。若い女性二人が営む店で、大正ロマン風の着物で迎えてくれた。大学時代の友人同士で、在学中から起業を決めて勉強していたという。二人とも成功を信じる自信に満ちた眼をしていた。
 眩しい。そう、若さとは眩しいものなのだ。
 ふっと娘のことを思い出した。就職が決まったとき、麻子もこんな眼をしていた。社会人になる期待と不安で眼を潤ませ、頬を紅潮させていた。なのに――。
 店主二人と引きこもりの娘を無意識に比べてしまっていた。だめだ。そんなことを考えてはいけない。せめて私だけでも麻子の理解者でいなければ。
 打ち合わせの結果、次号に「記事広告」というコラムでの掲載とWebクーポンの参加が決まった。
 私は眼を伏せて二人に礼を言って店を出た。
 普段ならこのまま帰る。だが、父に怒鳴られたこと、廊下に出された麻子の食事盆を思い出すとまっすぐ帰宅する気がしない。すこしだけ歩いて、気持ちを落ち着かせてから帰ることにした。
 寺内町は何度か仕事で訪れたことがあるが、いつも用件を済ませると慌ただしく立ち去るばかりだった。営業とはいえ、ゆっくりと歩き回るのは初めての体験だった。
 春なのに強い陽射しの照りつける日だった。私は黒い日傘を片手に資料の入ったトートバッグを肩に掛け、石畳の道を歩いた。
 眼の前にすこし色のくすんだ杉玉が見えた。手持ちの地図を見ると「白鳥酒造」とある。チェックが入っていないので広告未出稿の店だ。
 磨り硝子(がらす)の入った引き戸は開け放たれている。軒には色の褪せた木製の大きな看板があり、右から左に朱で「蓬命酒」と書かれていた。
 中をのぞくと薄暗く、ひやりと空気が冷たい。傘を畳むと、表の暑さから逃れるように敷居をまたいだ。
 なんのアポイントメントも取っていない。飛び込み営業が成功する確率はほとんどないのに、自分でもわけがわからないうちに店に入った。
 

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