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 二〇二五年 四月(1)
 
 桜の終わった町を歩きながら、私は自分の人生も終わったように感じていた。しかも、昨日今日に終わったのではない。もうずっと前から終わっていたのだ、と。
 ショーウィンドウに映っているのは、背を丸め、足を引きずり、くたびれたエコバッグを提げた六十歳の女だ。おまけに白髪の目立つ髪は手入れが行き届かず乾いてぱさついている。だが、そんな姿を見ても見慣れているのでため息もでない。
 ニュータウンにある古い一戸建てで私と父の謙次(けんじ)、それに娘の麻子が暮らしている。そろそろリフォームをしなければならないことはわかっているが、そんな余裕はない。敷地は百坪を超えていて、手入れの行き届かない荒れた庭がある。母が元気だった頃は季節ごとに花の咲く美しい庭だったが、今は見る影もない。
 玄関のドアを開けて中に入った。返事がないことを知っているが、念のため「ただいま」を言う。エコバッグを台所に置いて、奥の部屋にいる父の様子を見に行く。
「ただいま、お父さん」
「遅かったな、木綿子。どうせ、また無駄遣いしてきたんだろう」
「してないよ。レシート見せようか」
「くだらん。おまえは口答えばかりして生意気だ」
 父は買物など家事一切は女の仕事だと考えている。口は出すが手は出さない。事細かに文句を言うが、それに関して具体的な指示を求めると、いつも「くだらん」と言って逃げた。十年経っても事故で不自由になった身体を受け入れることができず、苛立ちを娘と孫の「女ども」に向けることで精神のバランスを取っている。
 今日は怒鳴り散らさないだけマシだ。これ以上は何を言っても無駄だから、さっさと背を向けた。それから、ギシギシ軋む階段を登って二階の娘の部屋を見に行った。