食べ終わると、中庭に出て井戸端に腰掛けた。今日、留守にしたことを詫びて、いつなら会えるか、という連絡をしなければならないと思っている。ただそれだけのことなのに、ためらっている。勇気が出ない。
歳は還暦近く、といったところだろうか。精一杯身ぎれいにして、精一杯仕事に打ち込み、なんとかして品を落とさず生きていこうとしているように見える。
だが、哀しいかな、彼女の努力はときどき無駄になる。どれだけ明るく振る舞っても、どれだけ満足しているふりをしても、それは見せかけだ。彼女は疲れてみすぼらしくて哀しい。
なのに、俺は安堵した。彼女の哀しい努力に自分でも驚くほどに安らいだのだ。それは山際木綿子には自分と同じ匂いを感じたからだ。
俺はこの頃、ずっと山際木綿子のことばかり考えている。
品を落とさず生きていこうとする虚しい努力に惹かれている。彼女の懸命な、報われないやりきれなさばかり思い出している。
山際木綿子に逢いたくてたまらない。
俺は懸命に彼女の顔を思い出そうとした。決して美人ではない。顔立ちは整っている方だが華やいだところはすこしもなく、潤いに欠ける。雰囲気がモノクロなのだ。
彼女と二人で日傘を差して歩いたとき、俺は涼しさを感じていた。見慣れた町並みが、まるで外国の町並みのように遠く感じられた。自分と山際木綿子だけが存在する小さな繭のような隔絶された世界を歩いているような気がした。
彼女の美点はなんだ? どうしてこんなにも山際木綿子のことばかり考え続けている?
特に美しくもなく、特筆すべき魅力があるわけでもない。地味で垢抜けない女のことがどうして頭を離れない?
彼女がヤマトタケルのことを話す口ぶりは静かなのに溌剌(はつらつ)としていた。まるで波一つ立たない池に小さな魚が跳ねたようだった。そして、俺も夢中で話した。まるで大学生の頃、友人たちとバカ話に興じたように、なんの気取りもなく自然に話したのだ。
