noteが主催する「創作大賞2023」で幻冬舎賞を受賞した斉藤ナミさん。SNSを中心にコミカルな文体で人気を集めています。「愛されたい」が私のすべて。自己愛まみれの奮闘記、『褒めてくれてもいいんですよ?』を上梓した斉藤さんによる連載「嫉妬についてのエトセトラ」。第25回は「なんのわだかまりもなく、母の日の贈り物が送れる人に私は嫉妬する」です
「母の日」が近づくこの時期は居心地が悪い
今年も世界中で「お母さんありがとう」圧がかかる時期がやってきた。
百貨店でショッピングしていても、ネットを開いていても、「母の日」のポップがあちこちに咲く。毎年この時期は居心地が悪い。
前回「母と仲がいい人が羨ましい」というエッセイを書いた。40代を迎えてもなお、幼い頃の想い出から、どうしても母をまっすぐに愛することができないという内容だ。
けれど、そんな私でも、居心地の悪さを抱えたまま、せめてもの形として贈り物はしている。
「今年は母の日のプレゼント、何がいい?」
指先だけで打つ無機質な問いかけ。面と向かっては口が裂けても言えない。感謝も労いも、好意を匂わせるような言葉はすべて私の喉の奥で硬く凝固している。だから、照れくさいことは全部LINEに放り込むことに決めている。
初めて母の日に贈り物をしたのは、自分が子どもを産み、母親というロールを引き受けてからだ。子どもたちが幼稚園で「おかあさんありがとう」と拙い文字を添えた私の絵を、母の日にプレゼントしてくれたのだ。
その横で、なぜか夫まで「ママいつもありがとう」と便乗して花を差し出してくる。
私はあんたを産んだ覚えはないし、あんたの母でもない。そう毒づきながらも、笑顔で受け取って食卓に飾る。
そうやって「母親」という配役をこなせばこなすほど、自分の「娘」としての不甲斐なさが喉の奥に苦く残った。
