「映像」の前景化としての90年代

例えば、これまでの日本映画史の教科書的な記述を参照してみれば、日本映画にとって、バブル景気の崩壊に伴う平成不況(「失われた10年」)に覆われていた90年代とは、しばしば「多様化」の時代だと規定されてきた(例えば、「日本映画」〔岩本憲児執筆〕、「日本映画の多様性」〔石原陽一郎執筆〕、『日本映画史110年』などを参照)。

それは産業面では「製作委員会方式」の一般化として、興行面ではミニシアターやシネマコンプレックス(シネコン)の普及として、また作品の内容や主題面では多文化主義的なマイノリティ(在日朝鮮人、沖縄、性的少数者……)への注目として、そしてメディアの面ではデジタルビデオカメラ、また何よりも90年代半ばのインターネットという新たな情報環境の社会的浸透として、いたるところに現れていた。

(写真提供:Photo AC)

橋口亮輔監督の『二十才の微熱』(1993年)、崔洋一監督の『月はどっちに出ている』(1993年)、あるいは高嶺剛監督の『ウンタマギルー』(1989年)など、同時代のカルチュラル・スタディーズや多文化主義の輸入紹介とも連動するような、社会的マイノリティを主題にした映画が多数登場したのがこの時期である。

なかでも、デジタルビデオカメラの普及が、その機動性や汎用性において、映画・映像が切り取るイメージの多様化・細分化――いわば「映画」ならぬ「映像」の前景化に拍車を掛けたことは特筆されるべきだろう。

90年代を彩る数々の作品群は、写真、映画、テレビ、ビデオソフトといったそれ自体が多様な媒体を自在に貫いて、映像が表象するリアリティ、セクシュアリティ、アイデンティティなどのかつてない多様化・断片化を押し進めた(ここには、今日のInstagramに繋がる「プリクラ文化」=写真コミュニケーションも含まれる)。あるいは、長いこと実写の下位ジャンルとみなされてきたアニメーション(アニメ)が、前者を凌駕するほどの社会的認知(おもに国内で「ジャパニメーション」という言葉が流通した)を獲得し始めたのも、この時代の映画・映像の示す多様化の特徴のひとつだろう。