イラスト:遠藤舞
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「極上の非日常」。プロレス観戦が趣味のスーさん。プロレスの中でもさらに過激なデスマッチに魅せられ、なぜこんなにも魅了されるのかと考えてみたところ――。

極上の非日常

相も変わらず、プロレス観戦に血道を上げている。最近は「フリーダムズ」というデスマッチが売りの団体にも足を運ぶ。

そもそも危険に見える攻撃が多いプロレスだが、デスマッチでは通常ルールよりリスクを伴う行為が許可され、流血がある。デスマッチでは、凶器を使うことも許されている。バットに五寸釘を打ち付けたもの、木材ボードに有刺鉄線を貼り付けたもの、巨大なおろし金、ハサミ、大量の画鋲、剣山、のこぎりなどさまざまだ。選手それぞれにお手製の凶器があり、使い方にも個性が光る。

私は蛍光灯デスマッチが好きだ。割れた瞬間にシャンパンの栓を抜いたような景気の良い音がするし、飛び散った破片はキラキラと輝いて美しい。

狂った世界だとは思う。選手たちは肉体を傷つけて血を流すことを厭わないし、観客はそれを見て大喜びするのだから。血ダルマになった選手の背中には、過去の戦いで受けた無数の傷がケロイドになって残っている。しかし、私はそれを見ても痛々しいとは思わなくなった。カッコいいと思う。

私はデスマッチレスラーではないので、なぜ過酷な試合形式を好んでやるのか、本当のところはわからない。フリーダムズの葛西純選手がインタビューで「デスマッチはより自分らしさを表現できるし、戦ってても生きてる実感を得られる」と語っているのを読んだことがある。日常から一歩「死」に近づいたほうが、より「生」を感じられるのだろうか。「死ぬかもしれない、大怪我をするかもしれない、というリングに上がって、大怪我をせず、死なないで自分の足でリングを降りて自分の足で家に帰るのがプロ」ともおっしゃっていて、その言葉に安心を覚えた。私たちはお金を払って、極上の非日常を見せてもらっているのだ。