登りつめた人でさえ、嫉妬の炎から逃げられない
先日、映画『爆弾』の演技が話題となり、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞した佐藤二朗さんのスピーチを観た。あれほど名実ともに認められた人なのに「嫉妬して、悔しくて、日本映画を見られない時期があった」という話をしていた。
あんなに登りつめた人でさえ、嫉妬の炎から逃げられないのだ。
「余裕しゃくしゃくで下を見下す成功者」なんてこの世のどこにも存在しないのかもしれない。
わかっているのに、ねじれてしまう。
どうしても、上にいる人は私を見下して「あー絶景だなあ。それに比べてあんたは……プププ」と嘲笑っているように感じてしまう。なぜ下から見上げると、こうも余裕そうに見えるのだろうか?
私の自虐工作だって、とっくにみんなに見透かされているかもしれない。「ほら。私はこんなに惨めで、ダメな人間なんですよ」と不幸を差し出すその手つきに「だから私を嫌わないで。愛して」という卑屈な下心がベッタリと張り付いていることを。
そうまでして守りたい「愛される私」は、結局いつも誰かと比較して震えているだけだ。
きっと私の工作も、成功も、他人にとっては一瞬のノイズに過ぎない。何やってんだろう、私は……。自分だけが人間として未熟で、嫉妬深くて、愚かな人間な気がしてくる。
嫌われたくない。でも認められたい。二兎を必死で追う強欲な姿こそが、何より滑稽で無様な姿であることを、読者は冷ややかに見抜いていて哀れに思っているかもしれない。
それでも、結局は誰かを嫉妬させるような発信を止められないし、この「書かずにはいられない」という病は、もう治しようがない。
自意識をパンパンに膨らませ続けることに少し虚しさを感じ始めているけれど、すぐに引き戻され、また次の原稿を書き始めている。
