社会は役割の集合体。まずは自分の役を掴む
そして、そのことは仕事だけではなく、プライベートの状況でも応用可能で、コミュニケーション全般においても使えることに気が付きました。ちょうどその頃「はじめに」でも取り上げたミュージカル作品『CHICAGO』に出会ったのです。
自分の役割を掴むことは、過去のコミュニケーションが下手な時代に応用できたなと気付きました。
学生の頃はいいクラスメート・楽しいクラスメートという役割をあまり徹底できていなかったから、どう振る舞えばよいかわからず、うまく友達を作れなかったのではないかと思うことができました。
そんな学校生活でも中学校で「生徒会役員」という仕事を与えられた時期は、役割がはっきりとしていたので、やりやすかったなとか、そういうことを思い出していったのです。
たとえば、入学式の在校生代表の挨拶や、生徒総会の仕切りなど、普段のコミュニケーションが苦手な自分ではできなかったことも、生徒会役員(副会長)として、こうした方がいいのではという風に考えると、自然と自分の中の脚本家さんがほいほい台本を書き始めて、言葉が自然と出てきたりしました。
その時と同じようにクレーム対応の電話オペレーターの仕事の時も企業の対応窓口として、というように明確に役割を設定して、対応すればよかったのです。
しかし生徒会役員は、役員選挙を経てその役割を担うようになったので、役割を明確に自覚していたのに対して、クレーム対応は職種として応募したものの、ヌルッと仕事が始まり、しっかりした自覚を持てないまま、仕事が始まっていました。
新しい仕事をスタートする時は、皆そうかもしれませんね。若かった私は、基本的なスクリプトはあったものの、役を掴む前にお客様からクレームを浴びて、心が折れてしまいました。
そして自分の役に徹しきれなかったというのが失敗した理由だったということもわかりました。役を設定するということをその都度適正にやっていれば、コミュニケーションに悩むことは少なかったのだろうなと思います。
このように、私は「もう一人の自分」と対話をしながら、過去の役割ということについて整理をしていきました。そうすると、「あそこの場ではああ振る舞えばよかった」「この言葉をかけてあげればよかった」。そういうことがどんどんたまってくるのです。
こういった振り返りを行うと、「もう一人の自分」は演出家兼脚本家となって「このセリフをここで繰り出すべきだった」とか「役の捉え方はこうすべきだった」ということを対話をしながら不思議と教えてくれるようになってくるのです。