「私には6つ年上のダウン症の姉・未知子がいて、両親は「この娘を守るために」、1つ年上の兄・太郎と私を産んだんです。幼い頃から「私たちが死んだ後、未知子の面倒はあんたと太郎で見るのよ」と言われて育ったので、そういうものかと納得していました。え? 別にショックじゃなかったですよ」

厳しい両親のもとで強くなった

もしも母が生きていたら、「こんな時こそヴァイオリンの練習をして、腕を磨きなさい」と言ったかもしれない。でも、母はもういなくて、私は人生で初めて罪悪感なしに練習を休むという経験をしました。手を少し痛めていたので、休養するにはいい機会だったんです。振り返れば、楽器を修理に出して物理的に弾けない時以外、練習しない日なんてありませんでした。そうやってせかせか生きてきたんだなあ、と改めて思います。

育った環境の影響が大きいのでしょうね。わが家はなんというか、「気の抜けない家」でした。私には6つ年上のダウン症の姉・未知子がいて、両親は「この娘を守るために」、1つ年上の兄・太郎と私を産んだんです。幼い頃から「私たちが死んだ後、未知子の面倒はあんたと太郎で見るのよ」と言われて育ったので、そういうものかと納得していました。え? 別にショックじゃなかったですよ。

私の、ケンカっ早くて負けず嫌いな性格は、姉を守らなくてはという使命感みたいなものも影響しているのかな。姉をいじめるヤツは許さないという気持ちはずっとありました。だって、私は任務ありきで生まれてきたわけですから。

両親は私に特に厳しかったです。私は勉強が全然できなかったんですが、ストレートに「バカ」「ダメな子だ」と言われ続けました。たまに家族以外の人に「かわいいね」と褒められても、「あなたに人間としての魅力がないから外見を褒めただけだ」と諭されて。

何をやっても褒めてもらえないので、いつの頃からか、「面白い人間にならなくちゃ」と思うようになりました。褒められなくても、面白ければ注目してもらえるだろうと。

そんな努力もむなしく、私があまりにもうるさいから、家族旅行に姉と兄だけが連れて行かれ、取り残されたことがありました。しかも旅先で録った8ミリビデオを私の前で観るんです。悔しくて悔しくて、あの時は泣きましたね。それを見てみんな笑ってた。ひどいでしょ。(笑)

よくグレなかったね、と言われれば、確かにそうかもしれません。でも、今となっては、おかげで強くなれたと感謝しています。母はいつも「子どもを甘やかすのは百害あって一利なし」と口にしていました。私に特別厳しかったのは、「あなたは大丈夫な子だから」とも言っていた。自分でも、私は強いし、両親や姉から頼りにされているんだ、と思っていました。