「モノの始末」への意識
これを見極めるには、日頃から親が「モノの始末」に対してどんな意識を持っているかを観察しましょう。とにかく捨てたくない人、モノをとっておくことに価値を見出す人、必要なモノさえあればいい人……。それは「モノを捨てる」ことに対してだけでなく、「モノをどう扱うか」にも表れています。
飛行機の中で借りたブランケットをぐちゃっと放置したまま降りていく――そんな光景をたびたび目にします。そこには、始末の意識のなさと共に、貸してもらったことへの感謝と敬意のなさも感じ、悲しい気持ちになります。
こうした日常の暮らし方が、「実家の断捨離」をする際に顕著に表れます。ベースはすべて日常にあるのです。
平常時の暮らし方が災害時、非常時の対応に表れるのと同じです。
私の母は日頃からモノの始末をつける気のない人でした。ということは、人生の始末を自分でつける気もありません。そんな母に代わって、私は母の亡くなる前から断捨離に着手し、「生活の残骸、人生の残骸」を始末したのです。
誰しも死ぬまでは生きていきます。「どうせ私のほうが先に死ぬから」と簡単に言う人もいますが、死はそんなに甘いものではありません。死は予測できないし、天の計らいと社会構造によって生きながらえてしまうこともあります。
日頃から「始末」について考えておくことは、誰にとっても重要なこと。さあ、今日からまず自分のモノの断捨離からしていきましょう。
