25年間待ち望んだ現場配属

大学を卒業した1982年、現在の勤務先である鹿島建設株式会社に就職。当時、ゼネコンに土木系の女性総合職として就職する人は非常に少なく、須田さんは女性として第2号の採用だったという。

大学進学時に夢見た「でっかいものを造ってみたい」という思いのもと、現場配属希望で入社したが鹿島技術研究所に配属される。

「技術研究所では、コンクリート構造に関わる研究を23年間しました。地震が起きたとしても、コンクリートの中にどんなふうに鉄筋を組んだらポキッと折れないか、どんなふうにしたらコンクリートが剥がれたり崩壊しないかという研究をずっとやっていたんです。2年上の当社初の女性総合職の先輩のおかげで、研究室内では男性と同じように扱ってもらえて、仕事は非常にしやすかったのですが、同期の男性社員が希望を出して技術研究所から次々に現場配属されていくのを見ながら、自分1人だけが取り残されているような気持ちでした。このまま現場に出られないのかな…と諦めの心境にもなり、正直、モチベーションを維持するのに苦労した時期もありました」

インタビューに答える須田久美子さん
「男性社員が次々と現場配属になるのに自分は現場に出られず、モチベーションの維持に苦しんだ時期もありました」

ところが、ここでの長年の研究が認められ、国の耐震設計基準の改定に貢献する機会が訪れる。

「現在の日本の土木構造物に対する耐震設計の考え方は世界的にみてもトップレベルだと思います。例えば震度5弱の地震が来ても、土木構造物が倒れるということはほとんどない。そんな土木構造物が造られるようになったのは、1995年の阪神淡路大震災が契機となっています。阪神淡路大震災では高速道路が倒壊し、残念にも人命が失われてしまった。その経験から、〈被害が出たとしても人命は守る〉土木構造物にしていこうという機運が高まったのです」

「あの地震が起きた頃、私は地震の際に起こりうる土木構造物の被害をどうすれば減らせるのかという研究をしていました。10分の1サイズの縮小模型を作り、荷重をかけながら壊す。実際に壊れた状況を調べ、その結果を耐震設計基準改定の根拠にするという実験をさせてもらう機会に恵まれました」

2人の子どもを子育てしている須田久美子さん
子育て中の須田さん。実家の両親と義母のサポートで仕事を続けられたという

当時、須田さんは子育ての真っ最中。須田さんの両親は遠方在住のため、子育てのサポートをお願いしづらい環境にあった。でも、この時ばかりは「国が大変なことになっているのだからしっかり頑張りなさい」と半年間、実家の両親と義母が交代で家に来て、彼女が研究に打ち込める環境を整えてくれた。特に義母は自身も仕事を続けてきた経緯があり、須田さんが働くことに肯定的で、積極的なサポートにとても感謝しているそうだ。その感謝の気持ちは、勤務の傍ら義母のサポートを受けながら書き上げた博士論文の冊子の巻末に、子どもが描いた絵と共に書き残されている。

「義母が亡くなった時、遺品を整理していたら、私が贈ったその冊子が綺麗に保管されてあったんです。嬉しかったですね」

こうして土木のプロフェッショナルとして研究に邁進し、23年間の技術研究所勤務を経て設計部門に異動。その後、勤続25年にして念願の現場配属を果たしたのである。

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須田さんが23年間の研究所勤務を生かし発表した論文
中空断面鉄筋コンクリート高橋脚の地震時変形性能に関する研究 あとがきと作業員のイラスト(イラスト作:すだこのみ)
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論文の巻末には義母への謝辞が。イラストは須田さんのお嬢さんの作品