女性技術者のネットワークが人生のロールモデルを提供
業界全体の中で女性が極めて少なかった1982年、ゼネコン、国交省、建設コンサルタントなど、各分野の第1号という女性の座談会がきっかけで全国で働くドボジョ28人が集められた。その時に新入社員だった須田さんも呼ばれた。業界の女性同士でいろんなことをざっくばらんに話し、共感し合える機会はとても貴重で心地よく、横のつながりの重要性を強く認識したという。
この会合をきっかけに、自分たち独自で活動できる会を作ろうと「土木技術者女性の会」が発足する。
「その会のメンバーの半分ぐらいは独身で、結婚も子どもも要らないから仕事をバリバリこなして自己実現していきたいと言っていました。一方で、人生は一度きりなんだから、結婚も子どもも諦めないし、子どもが生まれても子連れでバンバン転勤して仕事をすればいいのよという先輩方もいました。いろんな働き方、考え方をする女性たちがいて、この人とこの人のやり方を組み合わせたら、自分も結婚して子どもを産んで育てても仕事を続けられるかなと思えるようになったんです」
しかし当時、結婚や妊娠・出産を機に退職する女性が大多数だった時代。須田さん自身は2人の子どもを産み育てていたが、特に1人目の妊娠時にはあまりに重いつわりの症状に入院までしたのだとか。そんな辛い状況を乗り越え出産。彼女は会社を辞めることなく、職場復帰を果たす。
「私が出産した当時、育児休業法はまだ施行されておらず、労働基準法に定められた産後8週間で復帰しなければなりませんでした。まだ身体が十分に回復してないのになと思いながら。でもそれより大変だったのが保育園探しでした。認可保育園は4月にしか入園できない。私は出産のタイミングが合わず、他を探すしかなかったのですが、別の部署の人が近所の保育園の先生を紹介してくれて。その先生が、〈みんなちゃんと働いてるんだからしっかり頑張りなさい〉と発破をかけてくれたんです」
「2人目の時は、同じ団地の1階に住む奥さんが保育ママさんをしていて、うちで預かるよと言ってくれたんです。5階の我が家から1階に預けて、そのまま出社。帰りは、奥さんが子どもをお風呂に入れて夕飯も食べさせてくれたところに迎えに行って、そのまま寝かすことができて本当に助かりました」
遠方の両親や義父母、ご近所さんの力を借りながら、仕事と2人の子どもの子育てを両立した須田さんは、後進を育てようと、土木技術者女性の会の活動として、小中学生や土木工学科に興味のある高校生、先生向けに小冊子作りにかかわってきた。時代の変化もあり、現在はネットで誰でも読めるようにしているが、かつては10年に1回改定しながら、紙の小冊子を作っていた。
「小冊子は結構需要があるなと感じました。私が育った田舎では、農家さんが農閑期に現金収入を得るために土木仕事に携わるのはごく普通のことでした。生活の延長に土木があったんです。でも、今は土木という言葉自体が向こう側にいってしまって、人々から距離ができてしまった。だから、こうした活動を通して土木の面白さを次の世代に伝えていければと思っています」