誰かに褒められたかった

気がついてしまった。私が欲しかったのは、「丁寧な暮らし」そのものではなかったということに。

自分が土鍋のご飯を食べ、出汁からとったお味噌汁を飲みたいわけではない。

私は、誰かに褒められたかったのだ。「丁寧な暮らしをしている私って素敵でしょ?」と、周りにアピールしたかったのである。だって顆粒だしのお味噌汁で十分美味しいし。30分も出汁をとるのに早起きしたくない。お米はいつだってホカホカが便利じゃん。

もし純粋に出汁の香りや手作りの工程そのものを愛しているのなら、家族が食べようが食べまいが、私は一人もくもくと鰹節を削っているはずである。

本当に丁寧な暮らしをしている人たちは、他者からの称賛のためではなく、ただ自分の心地よさのためだけに実践している。誰の目にも触れずに、自分だけで完結する喜びが、そこにはあるのだ。

私の嫉妬の正体は、出汁からとった味噌汁そのものへの羨ましさではなく、他者の目に振り回されず「自分がやりたいからやる」という自己完結できる強さへの敗北感だった。だからこそ、彼らの生活がひときわ本物っぽく見えてしまう。

はあ……自分には、できない。

すべてを他人の評価基準でしか動けない自分がひどく陳腐に思えて、いい加減うんざりする。また他人の目かよ。