人形に綿を詰めるときは綿毛が飛ぶので、その作業は庭でしていましたが、それ以外の作業は主にリビングで。でも、夫が帰宅する前に部屋をきれいに片づけて夕食の支度をしていました。
夫はデザインについて私によく意見を求めるし、二人三脚でやっていたので、夫と一緒の時間は人形に手を出しません。あくまで、私が個人的にしていること、という意識が強かったと思います。家事も一段落して家族が寝静まった後、「やったぁ! 今からが自分の時間」と、人形作りをしていました。
わざわざ隠すように片づける必要はなかったかもしれませんが、世代でしょうか。どこか夫に遠慮していたのかもしれませんね。でも、たまにたわいもないことで喧嘩をすると、枕を投げあったりして、二人とも、子どもみたいでしたよ。(笑)
そうしてありがたいことに忙しくも楽しい日々を送っていましたが、夫が60代半ばでがんになって――。私たちは年に1回、人間ドックを受けていたのですが、再検査の必要があるといわれて調べたら、進行の早いスキルス性の胃がんと判明。
診断を聞いた夜、もう助からないんだと思い、ショックで原宿駅から世田谷区の自宅まで歩いて帰りました。いまだに井ノ頭通りを通るときは、その夜のことを思い出します。
夫の容体が悪くなり、生命が縮んでいくにつれて、私が作る人形は大きくなっていきました。命の象徴というか、一種の祈りのようなものだったのかもしれません。
61歳のときに夫を亡くした後、立ち直れたのは、二人の娘が支えてくれたおかげ。二人ともデザイナーをしていて、仕事が忙しいときは孫を預かったりもして。今ではその孫たちもすっかり大きくなりました。