劇団に入ってからは、間近でいろいろな浅利さんを見てきた。お客さんをビショビショに泣かすぞと意気込んで創作した『キューちゃんの鐘』(74年)では、劇団の母と呼ばれていた藤野節子さんから「悲しくない。これじゃ泣けない」と言われて、浅利さん悔しがってね。

本番が始まり、さらに旅公演に出てからも、書き直して書き直して、ついに藤野さんが泣く作品にした。熱い人なんだよ。

『エクウス』(75年)では、僕と相手役の菅本烈子ちゃんが全裸になるシーンがあるというので、僕らをサイパンのマニャガハ島に連れて行って裸で過ごさせたりもした。

そのとき海に入って海面から飛び出たお尻だけが日焼けしちゃって、真っ赤になった僕のお尻に藤野さんがキュウリのパックをのせてくれたんだ。1枚のせるたびに叫ぶ僕の悲痛な声を、隣で寝転んで本を読みながら嬉しそうに聞いていた浅利さん。今となっては楽しい思い出だよ。

その『エクウス』はおかげさまで評判を取って、その年の文化庁芸術祭の大賞をいただきました。それで僕もいろいろ取材されたんだけど、そのインタビュー記事を読んだ浅利さんにこう言われたの。

「君の記事を全部読ませてもらったけど、ほとんどが西村晃さん、中村錦之助さん、三木のり平さんの話で、俺たちの話が全然なかったね。俺たちが君を育てたんじゃないのか」。

僕は、本当にその通りだ、なんてことをしたんだと青ざめて、もうボロボロ涙が止まらなかった。

すると翌日、「昨日は言いすぎたな」と言って、ブランド物のきれいな赤と白のサマージャンパーをプレゼントしてくれたんだよ。血液型がAB型だからか、飴と鞭の使い方がうまいの。(笑)