国士舘大学大学院客員教授・八幡和郎先生は、「近代日本において、全国のどこで生まれても地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは国力の源泉となってきた」と語っています。当連載では、そんな八幡先生の著書『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで -』から一部を抜粋し、全国の名門高校をご紹介していきます。今回取り上げるのは「桐蔭高校」です。
桐蔭高校 県立/共学/中高一貫/和歌山県和歌山市吹上
各地にある校名だがこちらが元祖。和歌山県の旧一中的存在
全国の名門公立高校のうち、夏の甲子園で2連覇したのは、私立の神奈川県の桐蔭学園高校でも、大阪桐蔭高校でもなく、ここで紹介する和歌山県立桐蔭高校である。大正10年(1921)と翌11年の夏の甲子園で連続優勝している。(和歌山県立桐蔭高校の前身、和歌山中)
ただし、優勝したときは、和歌山中学と称していた。ところが、戦後に新制に移行するときに、駐留軍の担当官が伝統との断絶のために校名の継承を禁じた。
校名の由来は、「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声」(少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草の夢。階前の梧葉已に秋声)という中国のことわざからきているという説もある。「桐のようにすくすくと真っすぐに育て」「寸刻を惜しんで勉強をせよ」という意味が込められている。
紀州藩は幕末にあっては、征長戦争で惨敗するなどぱっとしなかったが、明治に入ると全国で最も意欲的に近代化を図った。明治2年(1869)には庶民の藩校への入学を許可し、明治4年(1871)の廃藩置県の際には「県学」が置かれ、国学・漢学・洋学の三教場が開かれた。
