公式書類上の年貢率
同村の公式書類上の年貢率(形式年貢率)は、寛永5年(1628)から明治3年(1870)の約250年の間では、最高が56パーセント、最低が29パーセントであり、享保期(1716〜1736)以降は44パーセントの定率となっている。
下の表は、中氷がの村を含む川中島平の5か村の年貢率を示したものである。領地の欄にあるように、村々を支配する領主は松代藩・上田藩・旗本と分かれている。明治7年の年貢米が、天保5年(1834)の村高に占める割合が形式年貢率であり、いずれの村も50パーセント前後の値を示している。これだけをみると、かなりの高率にみえる。
しかし、表の明治初年村内主要生産物の欄をみてほしい。これは、村々における田畑の主要な生産物である米・大麦・小麦・大豆・菜種(アブラナ)の年間生産量を示したものだが、それらをすべて米の生産量に換算したものが米換算高欄の数値である。
これが、田畑の実際の生産量に近い数値だといえよう。この米換算高欄の数値を分母、明治7年の年貢米量を分子として実質年貢率を出してみると、17〜27パーセントとなる。実質年貢率は、形式年貢率より大幅に低い。
