今後の課題

ただし、世帯ごとにみると、実質年貢負担率はかなり多様だった。負担率40パーセント台が13世帯、30パーセント台が12世帯と多いが、一方で20パーセント台も6世帯、10パーセント台も5世帯あった。

最低は7.3パーセント、最高は87.6パーセントだった。また、各世帯の所持地の石高と年貢負担率との間に、単純な相関関係(正比例の関係)はなかった。同じような所持石高の世帯でも、負担率には差があったのである。

なお、実質年貢負担率が87.6パーセントの家でも村での暮らしを続けている反面、実質年貢負担率がもっと低いのに経営破綻する家もあった。

年貢負担が家の経営に与える影響は一様ではなく、こうした差がなぜ生まれるのか、家ごとの個別具体的なあり方の検討が今後の課題である。

※本稿は、『年貢-せめぎ合う江戸時代の領主と百姓』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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年貢-せめぎ合う江戸時代の領主と百姓』(著:渡辺尚志/中央公論新社)

江戸時代、税の中核は年貢だった。

大名領が石高で表されるように、年貢は社会全体のありようまで規定していた。

だが、その実体はあまり知られていない。

年貢の成立から終焉までを巨細に解説する。