縁故疎開先で心細さを抱えつつ
1944年、小学校4年の頃、戦況がひどくなり、突然、学校が閉鎖に。そこで、1歳の赤ちゃんがいる一番上の姉と一緒に、山をひとつ越え、山の中腹に縁故疎開したのです。疎開先は、おじいさんとおばあさんと娘さんの3人家族が住むお宅の離れ。六畳一間と玄関だけで、台所やトイレはありません。
ときどき母や姉たちが街からやって来て食べ物を届けてくれましたが、次第に食料も不足してきて。台所を借り、薪で料理するのですが、麦飯にスルメを醤油に漬けたものや梅干しがお弁当の中身でした。
母屋の人たちが白米を食べているのを見て、子ども心にうらやましく思いました。夜は灯火管制が敷かれ、照明に黒い布をかけて、暗闇で夕食を食べるのがイヤでしたね。
疎開先の学校は山の麓にあり、子どもの足で歩いて小一時間ほど。帰りは薄暗くなるので一人で淋しいし、登りなのでヘトヘトになり、翌日、休んだりしました。やっと学校に着いたのに、空襲警報が鳴ると、そのまま帰宅。
授業はほとんどなく、学校の畑にじゃがいもを植えたり、肥料にする牛や馬の糞を拾わされたりしました。じゃがいもが収穫できると、先生が少しずつ紙袋に入れて、生徒たちに持たせてくれるんです。
ある日、その袋を提げてとぼとぼ歩いていたとき、自転車に乗ったお兄さんがすーっと私の手から袋をとって、「家の前に置いておくよ」と去って行った。
これは盗られてしまったかなと不安になりつつ家に帰ると、玄関前にちゃんと置いてあったので、びっくり。「なぜ私の家を知っているんだろう」と不思議でした。地元の人たちは、都会から疎開してきた人に興味津々だったのでしょう。
その頃の私は、誰ともしゃべらなかったんじゃないかしら。村の男の子が蛇を持って追いかけてくるのが怖くて。一人で家に帰る道すがら、ときどき見知らぬお姉さんと一緒になることがありました。彼女は私のそばをつかず離れず歩いてくれて、心強かったのを覚えています。
楽しみといえば、疎開先にただ1冊持っていった『ピーター・パン』を読むこと。もう、何回読んだかわかりません。読んでいる間は別世界に飛んでいける気がしたのです。