戦争は絶対にあってはならない

兄の戦死の報が届いたのは、戦後しばらく経ってから。小石が一つ入った箱が「遺骨」として届けられたとか……。数年後、兄と同じ部隊にいて生き残った方が、父を訪ねてきたそうです。レイテ島だったか、南方の島にいたようで、部隊の多くの人が飢えや病気で亡くなった、と。

一番上の姉の夫も、生まれた子の顔を見ることなく戦死。母は終戦の翌年に子宮がんを患い、42歳で亡くなりました。被爆によるものだったのかはわかりません。その後、父が男手一つで私たち姉妹を育ててくれました。

私が職場で出会った夫はとても優しい人で、27歳のときに結婚しました。ときどき戦時中のことを話してくれたんです。軍隊にいたとき、上官に殴られて耳の鼓膜が破れ、片耳がよく聞こえなくなってしまったこと。

南洋の島から傷病兵を乗せて帰る船に乗せられたものの、その船が撃沈されてしまい、そばにあった木片につかまって海を漂い、ようやくほかの船に助けられ、九死に一生を得たこと――。

私が原爆手帳(被爆者健康手帳)の手続きをしたのは、60歳を過ぎてから。認定を受けるためには(公的な証明書がない場合)証人が必要なので、いとこたちにお願いしました。なかには一生、原爆手帳をもらわない人もいます。被爆したことを誰にも知られたくないとか、理由はさまざまあるはずです。以前は、結婚差別などもありましたから。

私も原爆や戦争中のことは、長いこと姉妹同士でも口にしませんでした。本当につらいことは、家族でも、いえ、家族だからこそ話せなかったんだろうと思います。親戚と「あのとき、そういえば」と話せるようになったのは、最近のことです。

毎年8月9日が近くなると、強い閃光と爆風にさらされ、黒い雨を浴びたあの日のことを思い出さずにはいられません。一生記憶から消えないような、誰にも話したくないつらいことを、若い人たちはもちろん、誰にも経験してほしくないと思います。

ユーチューブを始めたのは85歳のとき。かつて団地に入居した際は一家5人暮らしでしたが、子どもたちは独立し、夫は先立ったので、一人暮らしのありのままを配信してみようと思ったんです。

当時中学3年生の孫に手助けしてもらい、初投稿したのは、2020年8月9日。動画を見た親族から、「この日にしたんだね」と言われました。私にとっては、生涯忘れられない日、という位置づけなのです。

戦争は本当にむごい。絶対にあってはならないのに、なぜなくならないのか。核兵器や武器を作るより、そのお金をみんなのために使えばどれだけ穏やかに暮らせるかわからないのに、納得できません。文化を破壊し、人の命を奪う戦争がなくなってほしい。それが92歳の私の、何よりの願いです。

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