思いがけない父の行動
8月15日、天皇陛下からのお言葉があるから集まるようにと言われ、ラジオがあるところに行きました。でもガーガーと雑音ばかりで何もわかりません。村長さんが「戦争は終わった」。これで長崎の家に戻れるし、もう夕食のときに電球に黒い布をかけなくてすむ、と思いました。
私は一日も早く家に戻りたかったのですが、様子を見に来てくれた父が、「落ち着いたら迎えに来る。しばらくここにいなさい」と言うのです。おそらく凄惨な光景を私に見せたくなかったのでしょう。後に、大勢の遺体は駅前に集められて焼かれたと聞きました。
私が市内に戻ったのは、1ヵ月くらい経ってから。町はすでに片づけられていましたが、戦時中より厳しい食料難が待っていました。食料は配給切符制。食うや食わずでいつもお腹を空かせていて、いつまで続くんだろうとつらかった。再開した学校で、同級生の何人かが亡くなったことを知りました。被爆の影響で髪の毛が抜けたり、病に苦しんだりする子もいたのです。
そのうちアメリカの進駐軍が長崎にやってきました。ある雪の日、巡回中のMP(憲兵隊)が、うちの玄関の前で立ち止まり、ポケットから食べ物を出して立ったまま食べ始めました。
すると父はドアを開け、身振り手振りで「中に入ってストーブのそばで食べるように」と伝えたのです。そのMPは、そのことを上官に報告したのでしょう。後日、父は長崎港に停泊していた軍艦でのディナーに招待されました。私たち子どもは、どんな御馳走を食べたのかと大騒ぎ。
でも、そのときの私は、父の行動が理解できませんでした。アメリカ軍によって大勢の人が殺されたのに、なぜ親切にするのか。今思うと、おそらく父は人間対人間というか、どこの国の人であれ、目の前の困っている人を助けなくてはいけないという考えだったのでしょう。
