家族で成長を見守ることのできる未熟な子ども

山口百恵やピンク・レディーをはじめとして、このころから日本のアイドルは、未熟な子どもの成長をみんなで見守るというプロデュースを採用している。

つまり、子育ての擬似体験――とまではいわないにしても、子どもが育つのを見守るように、家族的な関係性をファンとつくりあげる存在が、日本型アイドルの原型だったのである。もちろんその裏側には、擬似恋愛的な、性的なまなざしも存在していた。

しかしそれを隠すかのように、アリバイとしての「子育て」のシステムは建前として存在し続けた。それは金儲け的に見せない番組側のアリバイであり、擬似恋愛だけではないとする消費者側のアリバイでもあった。

ここには子どもという存在にそもそも聖的な意味を見出されていた名残があると言える。時代が変わり、子どもは家族のなかで主権的個人になり、宗教的意味付けが薄れていった。そんななかで、代わりに登場したのがアイドルやポップミュージックの歌手をはじめとする、建前としての「家族で成長を見守ることのできる未熟な子ども」だった、と解釈することができるのではないだろうか。

※本稿は、『推したちとどう生きるか』(新潮社)の一部を再編集したものです。

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