「自分なりの正解」を見つけるために
骨を納めるお墓も、一昔前なら先祖代々のものに入るのがあたりまえでした。しかし現在では「長男が継ぐ」という前提が崩壊し、お墓を維持することが難しくなってきている。お墓に対する考えも未婚化や少子高齢化、無宗教化などの影響で大きく変化しています。
その結果として、樹木葬や都市型納骨堂、散骨、ひいては「墓じまい」を選択する人が増えたのでしょう。
実は、このエッセイの連載中に母が亡くなりました。葬儀は究極の家族葬で、参列者は私と父の2人だけ。母とゆっくり過ごす時間がほしくてお通夜を設けたものの、無宗教のわが家はお坊さんも呼ばなかったので、すっかり時間を持て余してしまい……。
いろいろと考えて、母が好きだったバッハの調べを流し、私の希望で湯灌(ゆかん)も行っていただきました。
認知症を患っていた母は遺言などを残すことができなかったこともあり、私と父の希望でこの形になりましたが、わが家に限らず、誰にとっても、今や葬儀の形や骨の行方は、ほぼオーダーメイドです。
結婚していても、子どもがいても、自分が生きているうちに、なるべく自ら決めておいたほうがいい。これという基準もありませんし、正解は人それぞれ。だからこそ、「自分なりの正解」に辿り着くための地図があってほしい。
このエッセイにはそんな意味合いも込めています。
