病気は自分一人のものじゃない

養老 来週も病院に行かなきゃいけないんです。免疫チェックポイント阻害薬を打ちに。

高野 甲状腺機能低下は続きますが、今は、免疫チェックポイント阻害薬でつらい副作用が起きているというわけではないのですね。

(左)高野利実 (右)養老孟司
(撮影:大河内 禎/写真提供:ビジネス社)

養老 病院に行くのが負担なんです。面倒でね。でも、行かないと言うと家族が心配するから。

高野 もしご家族の思いがないとしたら、先生ご自身としては、もっと自然に任せる感じですか?

養老 たぶん今頃は、死んでるでしょうね(笑)。でも、学生時代は別として、もう60年も世間と付き合ってきたわけですからね。今さら最後の30年だけは一人にしてくれなんて、そう都合よくはいかないですよ。それなら出家して坊さんになります。だけど坊さんだって人間の世界でしょう。やはり完全な孤独にはなれないよね。

高野 ご家族は、やはり治療を続けてほしいと望んでいらっしゃるんですか?

養老 そりゃそうですよ。年を取るとよくわかるのは、病気も死も、自分のものじゃないということですね。当たり前だけどね。

僕は解剖をやっていて、死の人称変化というのをよく考えました。

例えば、無人島に一人で漂着したロビンソン・クルーソーに「死」はないんですよ。だって、もしロビンソン・クルーソーが「あ、オレは死んでる」と気づいたなら、それは生きてるんだよね。だから一人称の死は成立しない。

三人称の死は、あってもなくてもいいでしょう。今この瞬間にも、世界中にはご臨終の人がたくさんいるはずです。でも、俺にとっては何の関係もない。そうすると、死は二人称しかないということです。ということは、現代のほとんどの人は、「死」は客観的で科学的な事実だと思っているけれど、それは錯覚だということです。社会がなければ、生死の問題そのものが成立しないんです。