今にして思えば、龍堂は自分が金を稼げる者だという自負に溺れていたのではないでしょうかねえ。暮らしそのものはわりに質素でしたし、女は囲っておりましたが、散財や贅沢を好む性質でもなかったようですから。ええ、龍堂は入ってくる金子の多寡が、そのまま己の値打ちになるような気になっていたのでしょうね。自分を高直な人間だと思うことが快かったに違いありません。
あら、お笑いになりましたか、川口屋さん。
そうです。稼ぎの額で人の値打ちが決まるなら、龍堂など、吉原花魁の足元にも及びませんよ。それに気付かぬまま逝った男を、あたしはちょっぴり哀れに感じますね。
ただ、龍堂の療養所は評判で、部屋はいつも、ほぼ埋まっている様子でした。だから、かなりの金子が龍堂の許に流れ込んでいたはずです。なにしろ、一日当たり、大層な金額、小判を払わねばならなかったのですから。
そして、蛍のころ龍堂は倒れ、亡くなりました。
自死ではないかと噂が立ったのは、龍堂が倒れる一月ほど前のこと、療養所にいたさる大店のご隠居が突然に息を引き取ったからです。
あたしも詳しくは語れません。語れるほど知らないのです。そのころは既に、龍堂とも杉丸とも疎遠になっていましたからね。
「それは、石川屋のご隠居のことですな」
平左衛門が湯呑を手に取り、そう言った。
やはり知っていたか。
おゑんも一口、茶をすすった。微かに甘い香りがするのは、今の季節に合わせて茶葉に花弁でも混ぜているのだろうか。
「確か、軽い眩暈がするとかで、数日だけ療養所に入っていたのではなかったですかね」
「そのようです。さすがに何でもご存じですね、惣名主」
「いや、亡くなったご隠居は、その昔、川口屋の客でしてね。さほど足繁く通っていたわけではありませんが、品のいい綺麗な遊びをなさる方でした。ある程度、お歳を召されてからは、すっかり足が遠のいてしまわれました。それでも、お元気だと聞いていたので、亡くなったと知ったときは驚きましたよ。軽い眩暈と熱が続くので念のため療養所に入ったと聞きました。いや、又聞きに過ぎないので本当のところはわかりませんが」
「概ね、合ってますよ。そうなのです。ご隠居の病は軽く、二、三日後には家に帰る手筈になっていたのです。それが、容体が急変して二刻ばかりで亡くなったそうですよ」
あまりにあっけない死が世間の憶測を生んだ。
石川屋のご隠居は殺されたのではないか。一服、盛られたのではないか。さらに高じて、療養所を建てるとき、龍堂がご隠居から多額の借金をしていただの、二人が激しい口喧嘩をしていただのと、真偽不明の流言がまことしやかに語られるようになった。
時を同じくして、龍堂の患者だった女が頓死した。
角細工師(つのざいくし)の女房で脚(あし)の気(け)を患い、長く龍堂の許に通っていたのだ。その女が湯屋からの
帰り道、不意に倒れ、そのまま亡くなった。
脚の気は白米を多食する地に多く見られる病だ。江戸煩(わずら)いと呼ばれるほどで、江戸では珍しくない病でもあった。粟や玄米、胡麻、鰻、鰹(かつお)などを食することで治癒できるが、病が進むと心の臓が弱り、急な死に至ることがある。脚気衝心(かっけしょうしん)と呼ばれている症だ。
「職人のおかみさんも脚気衝心だったと思われるのですが、患者が相次いで亡くなったことで、さらに噂の波紋は広がったみたいですね。あたしの耳にも届いたぐらいですから、相当に騒がれたんでしょうね」
平左衛門は、袂から煙管を取り出した。
「ええ、わたしも何度か耳にしましたな。まさに流言、根も葉もない酷いものでした。まあ、財も名も手に入れた者への僻みや妬心もあったのでしょう。世間には、そういう面がありますから。上手くいっているときには崇め奉っても、一たび、穴に落ちると……」
ざまあみろと嘲笑い、泥を掛ける。
確かに、そんな一面はある。
互いに助け合い、手を差し伸べ、相手の幸せを心から祝う。
そういう一面もある。
人の世とは、どんな妖怪より正体が知れず、どんな謎よりややこしい。
まあ、けれど人の噂も七十五日というのは、本当ですねえ。昔の人は世の道理をよく知っていたなと感心しますよ。
いいかげんな噂が落ち着くまでに、おそらく七十五日もかからなかったと思います。ご隠居と職人のおかみさんの他に死人が出なかったわけですから、燃えるだけ燃えて、火は収まったというところでしょう。ところが、今度は龍堂自身が倒れ、亡くなりました。
ええ、あっけない最期だったようです。
だから自死ではと疑われたんでしょうね。患者のことであらぬ噂を立てられ、己(おの)が身体も思うように動かせなくなり、生きる望みを失った、と。ふふ、まあ、おおかたは納得しちまいますね。
え、あたしですか?
疑っていますよ。
もしや、龍堂は殺されたのではないかと。
自死? それは、あり得ないでしょう。あたしは亡くなる前の龍堂を直に見たわけじゃありません。けれど、直に見た者から様子は聞きました。身体の動きが酷く悪くなっていたのは事実のようです。
ねえ、川口屋さん、甲三郎さん。人が自ら命を絶つためには、どんな方法がありますかね。首吊り、切腹、服毒に身投げ、焼身……どれにしても、かなりの覚悟が要ります。そして、幾ら覚悟があっても、身体が動かねばどうにもなりません。
龍堂には自分で自分を始末する力は残っていなかったはずです。人はそう容易く死ねるもんじゃありませんからね。読本(よみほん)や芝居みたいに美しく散るなんて真似、そうそうできやしません。龍堂は医者です。無理やり命を絶つことが、どれほど難儀か、どれほど醜い姿をさらすことになるか、よくよく承知していたはずです。
だから、自死を選ぶはずはなかったし、選べもしなかった。だとすれば病死か殺されたか、どちらかしかないでしょう。
どちらとは言い切れません。殺された証が立ちませんから。まことに病死だった見込みがないわけじゃないですしね。
ただ、龍堂の妻女と息子は殺されたのです。
光陵に。
杉丸は元服して光陵と名乗り、龍堂の許で医業を学んでいました。なかなかの腕で……というより、龍堂より優れた医者になっていたようです。龍堂の晩年には、療養所での治療は光陵がほぼ一人で担っていたということですから。
(この章、続く)












